雨の金曜日 | 無駄話。

無駄話。

鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 今朝も午前4時半頃に目が覚めて眠れないのでテレビをつけて見ているうちにウトウトするので、昼頃になると眠くて仕方がなかった。今で言うところの季節病?で頭が痛くなる。

 結局「虎に翼」は茨田りつ子だけでスズ子や羽鳥善一は出なかった。というより花江の話が主だった。ちょうど今日で折り返しだ。去年の「らんまん」では万太郎と寿恵子の結婚式で前半が終わって折り返しだったが、モデルがいるのでどうなるかは分かるとしても、あんなの今まであったかしら?あまりにも「ちむどんどん」が無茶苦茶過ぎるのでまともなドラマづくりをするようにしたのか?「舞いあがれ!」も後半はひどかったので「AKはダメだがBKは傑作を創る」という「神話」が崩壊したかどうかは分からないが黒島結菜の押しつけがましい演技に比べて福原遥はほんわかとしているので「損」はしていないかもしれない?

 昨日キリスト教ものの古本屋に送った本は思っていたより査定額がついた。今日になってから送るのを忘れていた本があったのに気がついたのは失敗だった。

 今流行りの「オーラルヒストリー」は取材している対象者が有名人や書かれている出来事がよく知られているような内容なら裏が取りやすいが、そうでないとおかしな情報が書かれていても分かりにくい。米原万里のお布施本を読みながら「夕空の鶴」では「外交官夫人の野村タチアナ」と書かれているのを思い出した。彼女が「ロシア語会話の先生」と書く香取俊介の「もうひとつの昭和」は「極めて優秀な成績で陸軍士官学校を卒業した」駐ルーマニア大使館付の「駐在武官・補佐官」と書かれている夫の野村三郎は中公新書の「五・一五事件」を読むまで首相官邸襲撃組で陸士を放校となった士官候補生で釈放後は他の関係者同様、満軍で勤務したのは知らなかった。野村三郎は満軍の軍官としてルーマニアに派遣された事になりそうだが、どうもそうでもなさそうだ。タチアーナ夫人がバルバロッサ作戦で赤軍が退却してから再会した野村三郎を「ソ連の赤軍によく似た軍服をきた軍人」と語っているので満軍の軍装でなければ国民服を着ていた可能性はある。この時点の赤軍の軍衣は折り襟で「反革命」の白衛軍将校の象徴だったはずの肩章と詰め襟の軍装ではないので赤軍の軍装も日満軍の軍装や国民服もカーキ色なので「よく似た軍服」に見えたのだろう。生前に野村三郎を取材出来なかったようなので偕行社か防衛庁防衛研究所でも行って調べたら経歴ぐらいは分かりそうなものだが。タチアーナ夫人にしても「一九二〇年」生まれとあるが白衛軍に参加した父親が「結局、追われるようにしてトルコのイスタンブールに亡命した」を受け取ればペレコープの戦いで敗北するまで白衛軍に従軍していた事になり「その後ユーゴを経てルーマニアに戻り」なので1921年か1922年生まれ?野村三郎は陸幼でロシア語を学んでいるのに初めてタチアーナ夫人が友人と一緒に会った時にはドイツ語で話したというのは陸士か刑務所で学んで?身分を隠す為に使っているのか?「フォルクスワーゲン」はドイツ軍から借りたか貰ったキューベルヴァーゲン?少なくとも1944年8月23日のクーデターはミハイ国王主導ぐらい調べたらいいのに。