結局こういう事? | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 「祖師に背いた教団」の著者が礼賛している「傑僧」が「同朋社会の顕現」事件という超弩級の問題発言をしていた事を本願寺派の僧侶が書いた「戦時教学」批判の本の引用で初めて知った時、何でこの人は「傑僧」自身の孫の未来の妻の石田ひかりと石田ゆり子を結果的に貶めるような暴言を時期的に知っているはずなのに一言も言及しないのかが分からなかった。「傑僧」の伝記を書いた時には息子(石田ひかりの夫の訓覇圭の父親)から「同朋社会の顕現」には触れないようにと言われているのかもしれないが「傑僧」に心酔しきっているので見たくない事には見ようとしないという事なのが、やっと分かった。

 聖路加国際病院の事件は日本聖公会系の病院で加害者は日本基督教団の無任所牧師なので被害者が病院に訴えても日本聖公会と日本基督教団に告発しても窓口がないとか?で聞く耳を持たず、それどころか被害者が牧師先生を誣告しているかのように「守る会」を作った牧師先生がいてキリスト新聞と福音派のクリスチャン新聞が声明文を全文掲載して民事で判決が出て初めて謝罪したというのは「牧師先生はそんな事をしない!」という思い込みがあるのだろう。しかし、これがギョーカイと関わりがなかったら強い口調で批判しただろうに彼ら彼女らは「セカンドレイプ」を平気でする。日本聖公会はトカゲの尻尾切りで済ませて管理責任があるはずの主教様は主教区が廃止されるまで居座るという宝塚みたいな京都主教区の事件もあるにしろ、いくら後になってから被害者に謝罪して「再発防止」に向けてシンポジウムを開いたそうだが、こういう事件はまた起きる。日本聖公会は直営の出版社も書店も新聞もなくなったのは「日本聖公会祈祷書」の旧版で昭和63年に削除した「天皇のため」と「皇室のため」の祈祷の一つ前にある「社会正義のため」の実践をするので信者が減っているのだろう。

 カトリックは問題を起こした神父様は末端の信者から見えないように?他の司教区や国外に移すという「得意技」があるんだもの。エウジェーニオ・パチェリは追われるSS隊員を「安全な南米や中東」に逃亡させたのは、この「伝統」の延長線だったわけだ。