認識と「病気」? | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 昨日は寝てすぐに寝付けたようだ。目が覚めたのは午前5時近くだった。

 エホバの証人が書いているらしいホームページでレイモンド・フランズの「良心の危機」を引用している。「聖書理解の助け」を執筆している個所なので彼はまだ統治体の成員じゃないのだが。それより問題なのは彼が「聖書理解の助け」の執筆に関わる過程でベテルの図書館にある「キリスト教社会の注解書」(フレデリック・フランズは「ソンチノ」と言っているのでユダヤ教徒が書いた注釈書もあるだろうが)に感銘を受けた個所で揚げ足取りしてエホバの証人の出版物は高等教育を否定していた関係上、フレデリック・フランズのような大学中退者などを除けば専門教育を受けた人材がまずいないので「キリスト教社会」の出版物を多用しているのに、この時点まで気がつかないのだから「ある意味彼は病気だったのではないか」と結論づけている。「背教者」は「病気」だと決めつけるのは創価学会が山崎正友をパラノイアと罵倒するのを連想する。気持ちが悪いので、これでサヨナラだ。

 ファシストがネットの記事で書いた英王李垠を書いた文章を思い出して検索して読んでみた。「学校さえまともになかった当時の朝鮮を哀れみ、日本は李垠殿下をはじめとする当時の朝鮮王族の子弟に教育の場を提供しました」だとさ。趙重九の祖母の李貞淑のような学校教育の普及に熱心な女性の存在など知らないのだろうが「当時の朝鮮王族の子弟に教育の場」というのは李鍵公や李鍝公、徳恵翁主を指すなら大正10年代に入ってからなのだが、そんな事などどうでもいいのだろう。「朝鮮人で優秀な者は身分を問わず、陸軍士官学校で学ばせ、日本の軍人として活躍の場を与えられたのです。朴正煕大統領などはその代表です」って、よくある間違いだが朴正煕は日本陸士留学経験はあるが新京の満軍軍官学校卒の満軍中尉。この男は陸士が王公族以外の朝鮮人に門戸を開いたのは45期以降で人数は各期に片手の指に収まる程度しか入校していない事や「身分を問わず」って朝鮮貴族出身は李鍾賛しかいないのも知らないんじゃないの?海軍が植民地出身者に門戸を開いたのは昭和18年で海兵は最後まで入校を認めなかった(「英親王李垠伝」に王世子李玖が海兵に入校予定だったと書いているので、その時点で変わったはずだが)のは?この男は著者の本田節子を含めて「朝鮮王朝最後の皇太子妃」に書かれているのに誰も重視しない李鍝公薨去の際に英王李垠が「「とうとう日本に殺された!」と呻くような声をあげ、方子はそれを消え入りたい思いで聞いた」など読んでも読み飛ばしただろうし角田節子の「閔妃暗殺」は読んだとしても「わが祖国」にある8月15日に李王家東京邸を訪れた李亨根に身の振り方を指南した事など存在自体知らないので読んでいないだろう。

 ニュースを見ていたら明石元紹が先帝の疎開先について取材を受けていた。おやおや本を書いたり解説を書いたりしたのに「皇室が国民から支持される時代は終わった」のではないのか?取材など断ればいいのに。さすがに旧韓末に日本軍へ帰順した義兵を憲兵補助員として起用する事を考えた朝鮮憲兵隊司令官の孫が「日帝の手先になった」憲兵補助員になったようなものだ。