さてさて本当はどうなのでしょうか? | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 帰宅するとメルカリで買ったハルトマンの伝記が届いていた。何でも新訳の発売予定日はまた延びて春休み向けになったようだ。この本の赤軍の捕虜になってからをザッと読み返してみた。ハルトマンがヴャトカの泥炭採掘から空軍少佐という事で外されて将校収容所に送られて食堂に配属されたのに「将校として労働を拒否する」とは言わなかったのは確かだろう。中公新書の「シベリア抑留」では大尉までのドイツ軍将校に報復として強制労働に就かせたとあるが有罪判決を受けてからこの男と一緒にラーゲリにいた「ブランデンブルク隊員の手記」の著者のクリスチャンゼン少尉は大佐まで強制労働に就かせたと書いていて、どれが正しいんだ。1945年にヴャトカの泥炭採掘場から将校収容所に送られて「一九四七年にはじまったエーリッヒ・ハルトマン攻略の最初の戦法」を経て他の将校収容所で形式だけの戦犯裁判をかけられるまで尋問しか書かれていないのは本当のところロシア語が出来る事を生かして反ファシスト学校に行って反ファシストとして活動したんじゃないのか?でないと食堂に配属されないだろう。ロシア語が出来る外国人はスパイと見なす時代でもヴィルヘルム・アダム大佐のような反ファシストがいる。ハンス・ハーンがハルトマンと同じ将校収容所にいたというので彼の本を引用しているがハインリヒ・フォン・アインジーデル伯爵についてどう書いているのかを読んでみたくなる。ヘルマン・グラーフをこっぴどく批判した人物がいくら西部戦線での直属の部下とはいえ「自由ドイツ」国民委員会副会長というグラーフ以上の対ソ協力者に対しては対応がえらい違い。この本を書いたアメリカ人はドイツ民主共和国で再軍備がいつ行われたのかを知らないようだ。ハルトマンが尋問された時点では兵営人民警察すら存在していないのに。

 ハルトマンが送られたラーゲリの懲罰区域に出会った面々の記述は「ブランデンブルク隊員の手記」と同じ事を書いているのに微妙に違う。「ドイツの高名な貴族で戦前駐ソ・ドイツ大使であった伯爵ジークフリート・フォン・デア・シュウレンブルク少佐」とは「コサック騎兵中隊の中隊長を務めた」という「S・フォン・デア・シューレンブルク」?「駐ソ・ドイツ大使であった」フォン・デア・シューレンブルク伯爵なら7月20日事件後に絞首刑になっていてイニシャルも違う。逆に「悪名高いザイス・インクワルト博士の息子、リカルド・ザイス・インクワルト」は「ブランデンブルク隊員の手記」のリストにはないがクラスノゴルスクの尋問収容所で出会ったブランデンブルク部隊員の少尉?Wikiを探すとザイスーインクヴァルトの息子の名前と一致したリヒャルト・ザイス-インクヴァルトは1921年生まれなのでハインリヒ・フォン・アインジーデル伯爵やクリスチャンゼンと同じ歳でハルトマンより1つ上だけ分かった。「ブランデンブルク隊員の手記」を読んでハルトマンがハヨ・ヘルマン大佐がいた事を伝記の著者達に教えなかったのに気がついたが改めて駄本を読んでみると「ブランデンブルク隊員の手記」では言及されているハインツ・リンゲSS 中佐も言及していない。ハルトマンはオットー・ギュンシェSS少佐とフォン・デア・シューレンブルク少佐という同階級の「友情」を語っても自分より階級が上の将校がいてはまずいのか?