Amazonの700円分のポイントがあったので、ここで在庫があった「ひですの経」を注文した。分厚い本ではないからか郵便受けに入っていた。「キリシタンの文学」を読んでいると刊行当時は行方不明だった「ひですの経」は「ヒイデスの導師」の国字版のように紹介されていたが「したがって、『ひですの経』の内容は、『ヒイデスの導師』の「巻の一」に短くまとめられている」との事。
メルカリで売れた本などの代金を使って教文館で「ヒイデスの導師」を買ったがポイントカードを出したのがレジで支払いが終わってからなので丸善みたいにややこしくなってしまった。
「ヒイデスの導師」の解説も「ひですの経」が再発見される前のものなので「キリシタンの文学」のような説明になっている。ルイス・デ・グラナダの著書なので同じ本だと思われていたらしい。ややこしいね。キリシタン版を読んでいると当時の日本人は聖書など読んでいるとすればセミナリオでラテン語を学んだパードレかイルマンぐらいでスペイン語訳やポルトガル語訳などは「異端」の翻訳しかないので読めないだろう。なので引用している聖句は勿論の事、ヨセフスや教会教父、ギリシャ・ローマの古典など何の事やらわけが分からないだろう。アンジローは真言宗だったのだろうか?大日を訳語に使って「邪教」と間違われたのでラテン語を音写してデウスにしたが、ラテン語やスペイン語、ポルトガル語の宗教用語を仮名書きや漢字に音写しても当時の日本人ならマントラにしか受け取れないだろう。昨今のイスラーム関係の本を読むと回族が使っている漢訳を使えばいいのにアラビア語の用語をカタカナ書きしていて意味が分からないと「信心が足りない」と言わんばかりなのを連想する。「ひですの経」に川の列挙が想定しているはずの日本人の読者には理解出来ないと思ったのか?翻訳者が「方丈記」の書き出しにしているのは面白い。キリシタン版が刊行されていた頃に開版されていたのは内典がほとんどで外典はあっても「方丈記」は容易に読めるだろうか?「天草版平家物語」と「太平記抜書」にしても当の平家物語と太平記が開版されるより先だろうし。「ヒイデスの導師」の解説には「ぎやどぺかどる」などがスペインで禁書になった事が記されているがヴァティカンの聖省の禁書目録ではないからか、それとも時間が流れる中で解禁となったのか「読むことの歴史」にあるルイ14世の時代のフランスで読まれた「罪人達のための案内書」は書名からして「ぎやどぺかどる」のはずだが。
教文館で「ひですの経」の校訂者が書いた論文が収録されているという論文集があったが親鸞が「教行信証」で建永の法難を引き起こした後鳥羽院と土御門院を名指しで批判したと書き立てた論文があったので、また「主上臣下」かと飽き飽きしてやめた。四十八巻伝には安楽房が死刑になる前に後鳥羽院本人に向かって批判している個所があるが後伏見院の勅命で作成された以上おそらくは事実だろうに、この人は四十八巻伝を読んでいないのだろうなあ。エーディット・シュタインのような人を取り上げる時にカトリックに帰依したユダヤ人が置かれた状況を知りながら平気で見捨てた手紙を書いた教皇ピウス12世を名指しで批判するのか?