台風の前日 | 無駄話。

無駄話。

鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 なでしこの試合があって、BSで放送しているのを知らなかったので、つい見てしまった。それで新通所先には行かなかった。だから今週は1回も行っていない。行っても、新聞を朗読して1人で騒ぐオバハンとそのお友達の話がうるさいから、お昼で帰るけれど。
 Amazonに注文した田川建三訳新約聖書が届いた。少し文庫本を大きめにした「携帯版」を見てみると、字が小さくてビックリした。「A5判の割付をそのまま機械的に縮小して小さい方の判にあてはめた。これなら、製版代も安くすむし、校正もどちらか一方ですむ」と「はじめに」にあるが、近視と乱視があるので、「携帯版」を読んだら視力が悪くなりそうだ。視力のいい人向けの本なのだろう。何しろ小さな字が二段組みで、それより小さな字で福音書なら共観福音書とヨハネ伝の対照個所、それ以外に「旧約聖書」の引照個所(凡例の詩篇について、「特に詩篇は一つずつ異なる」とあるが、1章から9章の途中までと148章から150章は同じ)、最小限の注釈が入っている。これなら岩波版みたいに合本では四六判を出して、それを「携帯版」として発売した方がよかった。頁に折れがあったので、返品に出した。ネットショップでは分からないと改めて気づかされるが、こんな不快な本は初めてだ。
 返品の送り状を印刷する時にプリンターのインキが一気に3個少なくなったとメッセージが出たので、交換したらカートリッジの中に残っていたインキが飛んだ。
 A5判の方はハードカバーで、カバーの背を見ると白地に黒い字で書名と訳者名、出版社名が印刷されているから、岩波版の四六判(または岩波から出ている芝健介の問題書「ニュルンベルク裁判」や、みすず書房の本)と、そっくりな装幀だ。「27巻」の配列も独特だ。福音書がマルコ伝から始まるのは岩波版や塚本虎二訳と同じだが、「ルカ文書」としてルカ伝と使徒行伝が続いて、それからヨハネ伝となっている。パウロ書簡が書かれたと推定される年代順なのも岩波版みたいだ。公同書簡も独特で、それからヘブライ書となって、黙示録は分冊版の2著者説で別々になっている。長谷川三千子の「バベルの謎・ヤハウィストの冒険」の末尾に掲載されている口語訳の創世記の冒頭をヤハウィストとP資料とに分けているみたい。福音書と使徒行伝、ローマ書などで本来の本文になかったと推定される個所は特に何の説明もなく節の数字が飛んでいたり(新共同訳は説明している)、マルコ伝の末尾の12節は解説をつけて訳していないが、姦通の女は「有名な話だから、訳出しておいた」。それでいてヨハネ伝の5章3節の途中から4節のような個所は括弧つきで訳しているので、分冊版では本文中に訳しているとはいえども、一貫性がない。それなら姦通の女だけ訳しておいて、それ以外は全部、訳さない方がましだ。
 田川建三だからといって必ずしも翻訳に問題が無いわけではなく、黙示録の従来の訳の「真鍮」を分冊版から「白銅」と訳したのと違って、ローマ書のユニアを「ユニアス」のままなのは分冊版で向きになって「ユニア」という女性などあり得ないと、他の個所と違って、写本や研究者などから導けるか、説明していない。勿論、反フェミニズム神学の結果だろうけれど。フィリピ書の「国籍」も国民国家の存在しない時代に、存在しない概念だと気がつかないで、分冊版には何の註釈もないから、そのまま口語訳聖書などの翻訳を引きずっている。ここは「市民権」しか訳せないはずだが。パウロが持っていた「特権」としてのローマ市民権ならぬ「神の御国の市民権」だ。
 評価出来るのは文体だ。分冊版で読んだ時には癖がある上に注釈が面白いので、そちらばかり目にいったが、単行本で本文を読むと読みやすい。口語訳や新共同訳、口語訳を批判して翻訳したはずの新改訳のように馬鹿丁寧だが上から目線のイエス様とイエス様に向かって馬鹿丁寧な口調で話すパリサイ派や祭司などとの会話など、読んでいてイライラする(特に口語訳)。「書物としての新約聖書」で書かれているように、キリスト新聞社が出した「新約聖書・口語訳」の方が読みやすい。田川建三はキリスト新聞社の社長になった武藤富男が中心になったと書いているが、実際は賀川豊彦が進めた仕事。おそらく田川建三は気がついていないが、「新約聖書・口語訳」にはプロの翻訳者の村岡花子が関わっているから、ああいう文体になったのだろう。「書物としての新約聖書」の邦訳聖書については結構、間違いが多いが(例えばラゲ神父を派遣された宣教団名からか、ベルギー人ではなくフランス人と書いていたり、「東アジア(特に中国)の言語に聖書の翻訳を試みたのが、まずスペイン人とポルトガル人だったこと」と慶長版新約聖書ならばあり得ても、明らかにキリシタンの時代と混同していたり、旧約外典を新共同訳で使っている「旧約聖書続編」を「こんな珍妙な名前は、私の知る限り日本語の新共同訳にしか出て来ない」と大見得を切っているが、実際は「門脇文庫・日本語聖書翻訳史」に書かれている聖公会が昭和9年に出した「舊約聖書続篇」を引き継いだものだったり)、確認をしないで書いているのだろうか?英訳でもネルソン・アンド・サンズ社がABSの版権をNCCに譲渡した年度が1年ずれている。新改訳聖書が対応するのはNIVではなく、スポンサーで後に新改訳聖書の著作権をめぐって裁判闘争をしたロックマン財団が同時期に訳していたNASB。「門脇文庫・日本語聖書翻訳史」と共に参考にしている海老澤有道の「日本の聖書」の最終版となる講談社学術文庫版は「門脇文庫・日本語聖書翻訳史」を明らかに無視しているが、他にも正教会の「時課経」と「聖詠経」を同じ祈祷書と書いていたり、新改訳聖書の第1版の刊行年度を「1973年」(実際は昭和45年)と、おかしな間違いをしている。
 Amazonで「聖書」と検索してみると、岩波書店が岩波版のトーラーをオンデマンドで売るようだ。岩波書店は色々な絶版になった本(例えば「周恩来伝1949-1976」や「浄土三部経の研究」など)をオンデマンドで再版しているが、とにかく高い。合本を全てオンデマンドで出すのだろうが、A5判の「机上版」を持っているから、必要はない。しかし、今更、DDRの御用作家のアンナ・ゼーガースを岩波文庫で出すとは思わなかった。