彼女がつけたブラックマーク 【セリカ編】 その12 | FlyingVのブログ 『 so far so good 』

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男女、家族、そして友人達との様々な人間模様を書き記した記事が中心です。
みんカラから移転したものや創作したものを掲載しています。

木曜が過ぎ、迎えた金曜。
下着もボクサータイプのお気に入りを履き、シャツの替えも持参するなど、僕の準備は万端だった。
だが、好事、魔多しの通り、悲劇は間も無く訪れたのだ。
昼休みが終わった頃から、時々、お腹を押さえて調子を悪そうにしている彼女。
小さなポーチを持参してトイレに向かう姿を見たとき、嫌な予感が過ぎった。

夕方、待ち合わせた喫茶バチカンで、果たして、その予感は的中してしまった。
「ごめん、私、アレになったみたい。」
申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせる彼女。
「いいですよ、別に。」
と言ったものの、一旦火がついた気持ちがそうそうすぐに収まるわけでもない。
「ごめんね。予定では、もう少し先のはずなのに。」
アイスカプチーノを口に運び、頭が冷えるのを待ってから、一呼吸置いて、
「ハワイ楽しんできてくださいね。」
これが僕の言える限界だった。

「私が留守の間、ナオちゃんと遊ぶんでしょ?」
「別に、そのつもりもないし。」
「そんなことしたら、私、冷え冷えになっちゃうから。」
そういう自分は、一体誰とハワイに行くんだと、喉まで出かかったが、僕にも言う資格なんかなかった。
30分ぐらい、彼女の話を適当に聞いていたが、替えのシャツやらボクサーパンツを履いて来た自分の滑稽さに心が折れそうになったので、僕の方から切り上げて店を出ると、彼女は送っていくと言って、セリカに乗せてくれた。

ナビシートに腰を降ろした途端、婚約者、ハワイ、そして、彼女が居ない1週間が現実として降りかかり、忽ちいたたまれなくなる。
どうせ、ハワイでは僕のことなど思い出しもしないのだから、いっそのこと嫌われてしまってもいいと自暴自棄になった僕は、喫茶店の駐車場で、彼女に覆いかぶさると、「あの日でも構わない。」と半ばやけくそにブラウスの上をまさぐった。
「ちょ、ちょっと、止めてよ。マスターに見られちゃうって。V君がよくても、私は絶対にヤダ。そんなことしたら、事件現場みたいになっちゃうでしょ。」
「でも、約束したし。」
尚もスカートの下から手を入れようとすると、
「催涙スプレー出すよ、もう。」本気で怒り出す彼女。
「じゃあ、せめて。」と言って、顔を寄せる僕を
「キスはダメって前も言ったじゃん。」彼女は完璧に拒絶した。

そして、日曜、彼女はハワイに飛び立っていった。
2人分のファーストクラスの搭乗券、大きなキャリーバッグ、大胆な水着と一緒に。
今、彼女の見つめる先には、彼女の全てを独り占めする婚約者がいる
結局、僕には、プレリュードの車内で彼女が「来週ね。」と振り出した、空手形だけが残った。


週明け早々、彼女のいない職場は、まさにおばちゃん天国と化していた。
エンドレステープのようにしゃべりまくるおばちゃんに挟まれての仕事は、飢えたトラに身を差し出す聖職者のような尊い苦痛を伴うものであり、彼女がいないだけで、会社は、モノトーンフィルムに映し出されたディズニーランドのように味気ないものに成り果てていた。
バーコード部長も銀行OBの次長も、週明けから、彼女から割り振られた仕事にてんやわんやしている。
お陰で「お前が戦力になっていればな。」と、僕のところにも、とんだとばっちりが飛んで来る上に、おばちゃん達のゴシップ満載マシンガントークが追い討ちを掛けてきた。
これが、金曜まで続くのだから、どこかで新型鬱を発症したら間違いなく労災扱いになるだろう。
この過酷な労働環境に、初日にして僕のHPは、メタルスライムにすら倒されるほど激減していた。

火曜の昼休み、自分のデスクで、買ってきたコンビに弁当を広げ、誰もいない総務部で電話番をしながら唐揚げをパクついていると、
「黄昏れてないで、ちゃんと仕事してるかい?」
少しハスキーな声と共に、顔を出したのはナオちゃんだった。
「もしかして、頼まれて様子を見に来たとかですか?」
「そう。寂しがってないかどうかって。」
「残念ですが、うるさい人がいなくなって、生き生きしていたって伝えといてください。」
「そんなことちーちゃんに言ったら、私、会社に来れなくなっちゃう。」
とおどけた後、空いている彼女の椅子に腰掛けると、
「ね、ところでさ、明日、お茶しない?カラオケも行きたいんだけど、V君空いている?」
「え、ええ、いいですけど。」
「やったぁ。じゃあ、仕事終わったら、いつものところね。着いたらメールする。」
そう言って、ナオちゃんは立ち上がり、長い黒髪を揺らしながら、出て行った。

仕事の合間に、考えまいとしても、彼女がハワイで羽を伸ばしている姿が頭をよぎり、おまけに僕が勝手に脳内構築したイケメンが仲良く寄り添っているところまで、浮かんでしまう。
少しでも気を紛らわせたかった僕にとって、ナオちゃんのお誘いは、本当にありがたかった。

なんとか仕事を無事切り抜けた次の日の夕方。
彼女含めて、3人でバチカンに行くことは時々あっても、ナオちゃんと二人きりは、彼女をキレさせたあの日以来だ。
今度は、僕の方が先に着いてナオちゃんを待った。
しかし、いつ来ても、広い店内に他の客が居たためしがない。
お冷を1個運んできたマスターに、後から連れが来るので、それから注文したいと伝えると、
「承知しました。」と、うやうやしく腰を折るも、なにか言いたげな雰囲気がヒシヒシと伝わって来た。
数分後、ガラス戸に掛けられたカウベルがカラカラと鳴り、階段を踏み鳴らすヒールの音が近づき、僕の前で止まった。

「お待たせ。20日締めの請求書の処理が終わんなくて。でも今年の新人君達、伊達にガツガツしてないというか、もう注文取って来てるのよ。見直したわ。」
そう言って、ナオちゃんは、目にやり場に困るほど短い、レース地のチュチュスカートから覗く長い脚を折りたたんでソファに腰掛けたのだった。
ナオちゃんは会社の行き帰りはいつも制服だ。
言い方は良くないけど、彼女と比べてしまうと、どうしても控えめで地味なイメージを持っていた僕は、はじめて見るナオちゃんの私服姿に、正直、言葉を失った。
肩口の辺りにレースをあしらったカットソーはボリューミーなバストラインと華奢なウェストを強調している。
良く見れば、艶やかで長い黒髪にもダークブランのカラーマネキュアが施されていた。
やや勝気な大きな二重と小さな顎は、ほんの少し強めのメイクをするだけで、際立って見映えがし、ピンクゴールドの唇は店内のライトを艶やかに湛えていた。
ヒールを履くと僕と並ぶぐらいの身長もあって、どこからどう見ても、そこら辺のファッション誌から抜け出してきた読者モデルみたいだった。

恭しくお冷を運んで来るなり、ナオちゃんを見て、
「いらっしゃい。あれ?あれれれ?」と露骨に驚くマスターに、
「まさか常連忘れたの?何年通ったと思ってるのよ。」
ナオちゃんは不貞腐して見せた
「いやいや、いつも会社の制服だったしさ。」
苦し紛れの言い訳をしながら、灰皿を差し出すマスター。
「今日は、使わないから下げて。」
と、ナオちゃんが灰皿を戻すと、
「どういうこと??」首をかしげながら、注文を聞いて、カウンターの奥へと消えて行った。

「この後、なにか用事でもあるんですか?」
「V君までそういうこと言うんだ。あーあ、やっぱりちーちゃんみたいに総合職になろうかな。」
会社の規則では、一般職の女子社員には制服が義務付けられている。
「でも、雰囲気変わりますよね、本当。」
「う~ん、そうだな、どっちもいいけどオジサンは、今の方がいいな。」と飲み物を運んでくるついでに話に割り込むマスターを、一旦やり過ごしたナオチャンは、アイスティーを手に取り、
「ほら、ちーちゃんハワイ行っているし、V君色々と大変みたいだから、私からの応援みたいな。それに少し話もしたくてさ。」
「あ、前、メールに書いてあったことですね。」
「そう。あの後、ドタバタしてて、で、ちーちゃんいない今が、チャンスかなって。」
「ふ~ん。」とストローを口に運ぶも、今ひとつ、ナオちゃんの意図が分からない。
それに、この後、カラオケも連れて行ってくれるのだ。

僕と会うだけのために、わざわざ着替えてきてくれたのだとしたら、それはそれで嬉しいけど、そこまで気を遣ってくれる理由が全く思い当たらなかった。
あれこれ考え込む僕に、ナオちゃんは、いきなり突拍子のない質問をぶつけてきたのだ。
「ぶっちゃけ、聞くけど、V君、ちーちゃんのことどう思っているの?」
危うく、それほど美味しくもないアイスオレを噴き出しそうになった僕は、
「なに、突然?」と無理やり平静を装うも、
「V君さ、ここに来てお茶している時とか、ちーちゃんを見る目が違うんだよね。」
ナオちゃんは、何もかも知ってると言わんばかりの顔をしている。
「気をつけないとおばちゃんたち鋭いから、噂にでもなったら大変だよ。」
顔に出るタイプではないものの、そういう風に見られているとは、脇が甘いとしか言いようがない。
「そんなことないって。だって、あっちは婚約してるし、こっちは彼女がいるからさ。」
慌てて否定してみるも、上っ面を取り繕うだけだった。
「いいなぁ、ちーちゃんばっかり。」と口を尖らせ、
「私さ、ちーちゃんに、好きな人取られちゃったことがあるんだよね。」
脚を組み替えてから、アイスティーを一口含み、ナオちゃんは語り出した。

(続く)