横浜マラソン振り返り | 三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

フライフィッシングとウルトラマラソンにハマったパパの娘が、2015年11月に卵黄嚢腫瘍と診断、闘病を経て2016年4月に寛解。ガンと闘いながら走り続ける我が家の話。少しでもどなたかのお役に立てれば。

昨日の横浜マラソンを振り返ってみます。

まあ昨日も書きましたが
今回の敗因は練習不足に尽きるでしょう。

今回の目標はサブ4
ギリギリでもいいから4時間前後で走りたかったです。

なぜかスタートはAブロック。
1時間前に並び、最前列から15列くらいにはいました。

スタートして最初の10キロは予定通りで、55分。
一応すべての給水所で水分補給をしました。

ラッキー給食は諦め、梅干しや塩タブレットの補給で済ませます。

15キロ時点でも1時間23分と順調でした。


しかし、ここからが苦しかった。
この3か月18キロを超えたことがなかったので
やはり18キロ地点あたりから足がきつくなってきました。

一度スマホの音楽からラジオに切り替えた時に歩いてから終わりましたね。

20キロ地点では1時間55分
すでに15~20キロの5キロで32分かかっています。

その後は給水所で止まる。
2キロ走って足が止まると繰り返し
高速道路の上り坂手前で止まりました。

20~25キロで34分
その後は高速上で冷たい風と、変わらない景色にやられ
25~30キロでは37分
それからは5キロで39分ずつかかっています。

最終的に4時間42分でフィニッシュ。

20キロ地点で足は終わっていて
とにかく完走メダルを目標に最後まで走った感じです。


昨年は小江戸大江戸203キロの2週間後で
まだ足の浮腫みも取れていない状況で4時間55分でしたので
今年は本当に情けない。

今日は翌日でしたが
以前なら100キロ完走後の疲れもそれほど感じなかったのに
今日は足が筋肉痛で重たいです。

ここまで数年かけて足を作ってきたのに
たった3か月で消滅しました。

取り戻すのにどれくらい時間が必要なのかわかりませんが
練習あるのみですね。

次は4月中旬の富士五胡100キロです。
このままだとヤバい。

しかも6月は調子に乗って夢の島の24時間走にエントリーしてしまった。
本当にヤバいです。


とりあえずこの足の状態を早く回復させて
一日も早く練習を再開させます。

あと、なぜかフルで死んだ左足の親指の爪もはがさないと。
富士五胡の途中で爪がはがれて流血になるのは避けたいですから。


とりあえず頑張ります。。。