岩手銀河チャレンジ100キロ③ | 三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

フライフィッシングとウルトラマラソンにハマったパパの娘が、2015年11月に卵黄嚢腫瘍と診断、闘病を経て2016年4月に寛解。ガンと闘いながら走り続ける我が家の話。少しでもどなたかのお役に立てれば。

昨日に引き続き

50キロ以降のレースについてです。

豊沢湖を過ぎてから
最後の強烈な上りになります。

フライフィッシングとマラソンに人生を賭けるか・・・

上った最後はトンネルです。
短いトンネルの後に、2キロ近くのトンネルを走ります。

このトンネルで結構抜かしましたが
先を走っていた仲間を抜いたようです。
フライフィッシングとマラソンに人生を賭けるか・・・


トンネルを抜けると
57.5キロのエイドステーション

ここで7時間以上が経過していました。。。

体も極限状態で
リタイアを考えましたが

なぜか
100-57.5=42.5キロ

「フルマラソンの距離か~」
「それをあと6時間半で走るのか~。なら大丈夫か~」

という考えで乗り切ります(笑)
フライフィッシングとマラソンに人生を賭けるか・・・

しかし、ここから大誤算でした。

左膝の腸脛靭帯を痛めたようで
上りは良いのですが、下りが駄目です。。。


最後までの間に、何度もアップダウンがあり
上りでは抜かすのですが
下りで大勢に抜かれてしまい
タイムが厳しくなります。。。

66キロの着替えポイントでは、関門まで残り40分
73キロの銀河高原ホテルでは、関門まで残り25分

86キロの関門では残り15分でした。。。

もう最後になると
周りを走っているのはほとんど同じ方ばかり。
抜かしは抜かされを繰り返します。。。

最後の90キロ関門では、残り7分半でした。。。
フライフィッシングとマラソンに人生を賭けるか・・・

私の後ろを走っていた
視覚障害の女性(伴走付き)の方は
この関門に間に合った所で
泣き崩れてしまい最後までゴールできたのか・・・


そうして最後の10キロです。

もう、この時点ではキロ8~9分でしたので
ゴールまでギリギリです。


ラスト4キロで

「埼玉のはるな愛」というプラカードを掲げた
オカマさん(セーラー服で100キロ完走)に抜かされましたが

最後のゴール300メートル前で抜き返し

初めての100キロは
13時間55分29秒でゴールしました!
フライフィッシングとマラソンに人生を賭けるか・・・


一緒に参加していた仲間は
49キロ地点
73キロ地点で関門アウトになっており
すでにゴール会場で待っててくれていました。

体はボロボロでしたが
無事にゴールできたことで大満足です!


最後は復興支援の名のもとに
絶対にリタイアしない、という精神的な力が発揮できたように思います。

100キロは過酷でしたね!


フライフィッシングとマラソンに人生を賭けるか・・・

最後は、名物の食事をいただき
ホテルに向かいました。。。

今考えても、あの時の興奮は忘れられません。
90キロ過ぎてからは半べそでしたから(笑)


明日はレース内容を振り返りたいと思います。


つづく