久しぶりに、私の日常をアップいたします。

日本の銘菓?じゃなかったね。日本の名歌の一つである「荒城の月」に今ハマっています。この名歌のギター曲を何とかして、自分のレパートリーに入れようとしております。


色々と調べてみると、この曲の原曲(♯♯のロ短調、伴奏無しの単旋律のみ)は、仙台出身の詩人の土井晩翠が作詞したものに、東京出身の東京音楽学校の滝廉太郎が作曲して、今から約120年以上前の1901年(明治34年)に、中学校唱歌として発表されました。


その後、作曲家の山田耕筰が、欧米での日本の歌曲の演奏用にピアノ伴奏を付けて編曲(♭のニ短調に移調、複旋律で楽器伴奏有り、八分音符を四分音符に変えて全体を8小節から16小節に変更)した楽譜が一般的に広まり、今に至っております。


私は、この「荒城の月」は、学校の音楽の授業で少し学んだ程度のことしか分かりませんが、最近、ギターをやりだしてから、たまたま、買ってあった「歌って弾ける日本のうたギター曲集」(ドレミ楽譜出版社)というのがあって、それを参考に、クラシックギターで練習し始めたところです。


この本では、初心者にもギターで弾けるように、調号の無いイ短調に移調されています。

私は、この「荒城の月」の旋律もさることながら、土井晩翠の作詞(一番から四番まで)が気に入っております。


その内容については、ここではあまり触れませんが、江戸幕府の時代を通じて守り続けた多くのお城が、明治政府に変わってから、近代化を進める新政府にとっては、必要ではない建物と見なされて、明治6年に廃城の方針が決まり、次々に本丸が壊されて行きます。


昔のお城の風景は、たちまちに一変し、全国的に本丸が消え、石垣と松のみの城趾だけという寂しい荒廃した城の形となりました。仙台出身の詩人の土井晩翠が、この「荒城の月」を創作する動機となった明治時代中後期の城の風景とは、そういうものだったわけです。歴史的文化財として新たに城の再建や保存を考えるようになったのは、ずっと後の時代の話です。


時代の大きな流れ、変遷は、風景も文化も大きく変えていきます。武士階級が刀を所持するのが当たり前の江戸時代から、舞台は変わって、お殿様や武士階級がなくなった明治時代を想像してみてください。そして、その代わりに登場したのが、軍刀や銃を所持した軍人と警察という制度です。

そういう明治という新時代の風景を背景にして、日本の名歌の一つである「荒城の月」が出来たのです。


私は、もともと、この和歌的な歌詞である七五調の詩が気に入っております。ただ、一番から四番まで覚えるのに苦労しております。はっきり言って、旧時代の語句は覚えにくいし、意味を解釈して理解するのも大変ですね。土井晩翠さんが、ご自分の詩の詳しい解説本を出していてくれれば良かったのに、と思います。生きている時代が全く違うので、こちらが勝手にあれこれと想像して解釈するのも、本人の解説書が無いので、自由と言えば自由なのですが。


ともあれ、クラシックギターの練習はぼちぼちに進めて参ります。夏休みを勝手に取りましたが、その間、何か出来たものはあったかと言えば、あまり出来ていません。

ジブリの曲集も中途半端にしか出来ていません。

途中で気が変わって、ヘンツェのノクターンをやっていました。だから、正直に言うと、私が暗譜して、そこそこ自信を持って演奏出来るものは、愛のロマンス、マリアルイサ、ヘンツェのノクターンの三曲であります。


ホントに「カタツムリの歩み」のような遅い進み具合ですね。

ただ、練習のし過ぎなどはないので、手指の腱鞘炎などは、軽いものはあっても、それほど深刻なものは今の所はないです。さて、この「荒城の月」の練習が一段落しましたら、秋は何を目標にすべきか、これから考えていきましょう。


要するに、この「荒城の月」で分かったことは、もともとの滝廉太郎の原曲を主題(テーマ)とすると、原曲者の死後は、編曲者が、その曲想や曲調を変えずに、編曲したり、変奏も含めて、前奏(イントロ)や間奏や後奏(エンディング)を加えたりして、色々とアレンジする事があるということです。だから、世の中、編曲者も結構多いということなんです。

そういうことが、そこそこ「自由」に出来るのだ!?ということが分かりました。

さすが、芸術の世界は頭脳が柔らかい。😄爆笑びっくり