最終回です。
長々と読んでくださった方、ありがとうございます。
その1はこちらから
結局わたしは島村楽器でのインストラクター業は9年続けました。
続けて行く中で人生のターニングポイントみたいなこともいくつかあったと思います。
入社して7〜8年目くらい、この頃私は会社全体の中でもフルートコースとしては異例の50名を超える生徒さんに恵まれて居ました。
仕事の充実度や収入は当時の年齢にしては充分なものだったと思います。
ただ、好きな仕事をしている実感はあったのですが、この少し前から先生業だけでなく、人前で演奏する事に興味を持ち始めて居ました。
そして50名超えの生徒さんから不満を出さずに自分のやってみたい事に挑戦していくことに少しずつ限界を感じていました。
そしてわたしは当時、少しでも時間が空くのが勿体なくて、週5フルタイムで島村楽器に勤める他に週2日夜はファミレスでバイトをして、休みの日の1日は実家でレッスン、もう1日の休みは都内にレッスンに通ったりなどしてました。
(小さい頃からお金はあったらあるだけ使う。って感覚だったので、これだけ働いて居た割に当時の貯金はゼロでしたが。苦笑)
どれも好んでやって居たし、毎日が楽しくもあったのですが、今のまま歳を重ねてもつまらない。という想いがあり、もっと自分にしか出来ないことも追求してみたいな。って思うようになり、、、
そしてついにインストラクターを辞めることになりました。
その後も島村楽器には講師として(週一勤務)9年、籍を置かせて頂きましたが、これ以降はパルコ外での出来事の方が印象強く、コレはまた別の機会に。
パルコ22周年、そして閉店へ〜の想いを馳せた記事はここまで。
本当に長くてとりとめなくなってしまいました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
本当に、自分が社会人になってからの貴重な時間を過ごした、思い出深い場所。
特にオープンから3〜4年位の想い出が濃厚で今でも鮮明でカラフルな記憶です。
その頃に出会った友人と恩師と想い出が今の私を造ってくれています。
宇都宮パルコがいつまでもみんなの心に残ってくれたら嬉しいな。
ありがとう宇都宮パルコ。
ここで何度も何度も演奏させて頂いたのも想い出深いです。