「ヒト」として一人で生きている人が、喜ばれるように生きていくと「人間」として人と人の「間」で生きる存在に変わる。

 

人との関係の中で生きることは、自分が必要とされているということを意味する。

「人間」としての生きる目的は、ほしいものを得たり何かを成し遂げることではなく、人々の間で喜ばれる存在になることである。

 

「ありがとう」と言われる存在になることが重要である。

 

毎日、『うれしい』『楽しい』『幸せ』『愛している』『大好き』『ありがとう』『ついてる』などの言葉を声に出すようにする。

逆に、「不平不満」「愚痴」「泣き言」「悪口」「文句」(悲しい、つまらない、辛い、嫌い、疲れた、恨み言葉)は使わず、そのような言葉を使う人との関わりは避ける。

 

★★★

自分の発した言葉は、人生を形成する。そして、自分の周囲の人や環境に影響を及ぼすと私は思っている。

【ありがとう】と言われる存在になるために、私も沢山ありがとうを使っている。

 

 

今回は、40分間の合掌業の結果をお伝えしたいと思う。

以前の記事は、ここ

私は、親族に大怪我を負わせてしまったことから、40分間の合掌業を試してみた。まさに藁をもすがる思いで、合掌を続けた。

 

本には、何度か試すことでその効果が高まると書かれていたため、私は3回試してみた。その間ずっと、癒しと回復の力が私に届くよう祈り続けた。

手術の日は、親族は激しい痛みに苦しみながらも頑張っていたそうだ。後日、私は面会が15分だけ許され、その機会に会いに行った。

 

面会に臨む私は不安な気持ちでいっぱいだったが、その日は意思の疎通が普通にできるほど回復していた。私自身、40分間の合掌業の成果と信じている。

 

心からの祈りは叶うのだと、私は信じる。

 

 

 

心に願ったり、イメージしたことは、必ず実現し、

人の人生はその結果織成されていく

 

幸せの事を考えれば、幸せになる
惨めな事を考えれば、惨めになる
病気のことを考えれば、病気になる
失敗の事を考えれば、失敗する

多くの時間を何に焦点を合わせるかで、それがあなたの人生になる

 

★★★

 

人生には喜びや悲しみ、成功や失敗がある。重要なのは、それらの状況に対して適切に向き合うこと。大切なのは、ポジティブな思考やイメージを通じて自分自身を励まし、そして行動を起こす事だと思う。


 

「自分が欲しくてたまらないもの」を持っている人が、恋の対象になり、

「自分の持っているものを全て与えたい」と思える人が愛の対象になる。

従って、欲しいものをそれなりに手に入れたり、全ては手に入らないと、悟った人ほど恋をしなくなり、内側に蓄えが多い人ほど愛が増える

 

★★★

ずいぶん長い間「恋」などしていないので、忘れていたが恋とはこんな感じだった感じがする。

恋に比べて「愛」は深い。内面的な蓄えや感情的なつながりはとても大切だ。

 

私の不注意で、身内に大怪我をさせてしまい、食べられず、寝れず、心身ともにボロボロになってきている。ネットで「事故の加害者の気持ちの持ち方」などを検索したが、情報が少ない。

 

一般的に、被害者の気持ちに焦点を当てたものが多いが、不慮の事故の場合は、加害者もダメージがある。

 

仏教の修行に、「常に喜びだけを育む」という教えがある。

喜びには理由がある喜びと理由のない喜びがある。大抵喜びには理由がある。

しかし理由のない喜びは、自分がどんな状況であっても、いつも笑顔でいる、人を先に笑わせる。無理矢理に笑うだけで変化が起きる。心に喜びを持つことで、怒りや心配が薄れ、心の状態が良くなる。心を修練し、煩悩を除去し、いかなる苦難も乗り越える。

さまざまな、苦しみに陥っても、落ち込まず、喜んで立ち向かう。逆境は祝福であり、心が鍛えられ、自分を鍛え、魂を成長させるチャンスである。苦しみを喜びに変えられる。

 

私が落ち込んでいて、「私が悪い、私のせいだ。私は本当に馬鹿だ」と泣き叫んで言い続けたところで、周りの状況が変わらない。それどころか、周りの人を心配させて、場が暗くなる。

こんな状況で笑っていいものかと思うが、仏教の修行にも、記されているのだから、「私は常に喜びを育む」。そしてこの苦悩が、なぜ私に起きたのか、考えていきたいと思う。

そして、今後は、仏教の最大の教え「菩提心(自分だけでなく、他人の為に生きる)」で生活していく事を心がける。