東京盃
1996年のこのレースで、トキオクラフティから総流ししたら人気薄のプレザントが2着に来て万馬券になったのを思い出します。
プレザントは東京ダービー馬ですが、ピーク過ぎて岩手に転出してたのと、何より1200mという距離が嫌われていた・・・んだと思います。
これからオッズの動きを見て決めますが、今年はサマーウインドとスーニのワイドを5万か10万買って終了の予定。
明日の東京記念に備えます。
ふろーすれ1
ま、たまにはこんなのも
ブログネタ:恋するキモチを5・7・5で教えて!
参加中
好きすぎて 全くティムポが 立ちません
中学生の頃を思い返した句です。
好きな人とおかずにする人は別でした。
どうせ星一つか二つだろうね
☆ぷんぷん☆
らぶ電報キャンペーン実施中!
新小岩 佐藤家
アメーバイチ押しグルメ情報 グルブロ
参加中
宮崎地鶏 炭火串焼 博多もつ鍋 佐藤家 新小岩駅前店
住所:東京都葛飾区新小岩1-48-9 桜ビルB1
電話番号:03-3656-4533
評価:
25歳マムコ(つゆだく)と新小岩の佐藤家に行って来ました。
今回も「試食会.jp」のコース。1人6500円が3250円になります。
新小岩はあまる来る機会がないのですが、ずいぶん栄えてますね。
キャバクラ的な店の呼び込みを横目に地下のお店へ。
造りは「売れてる居酒屋」でした。
まずはビール。
これ、メニューにも「プレミアムモルツ」と書いてましたけど多分違います。
フルーティなホップの香りが一切しなかったです。ゲップも普通のビール。プレミアムモルツの爽快なゲップではありません。
そしてサラダ。
まあ、普通の胡麻ドレッシングです。量は結構あります。
鶏の塩ユッケ。これは絶品でした。
ただ、個人的にはわさび醤油で頂きたかったです。
25歳マムコは生の鶏を食ったことがないらしく、喜んでました。
写真取り忘れましたがここらで白レバー焼き。まあ並です。
刺身盛り合わせ。海老・ホタテ・鰹・なんか白身。
まあまあです。
海老の頭は揚げてくれました。
馬刺・レバ刺。馬刺しは冷凍感が若干。レバ刺はまあ旨かったです。
玉泉堂(どこだよ)の地ウイスキー。まあまあです。最近ボウモアやラフロイグなどのモハッとウイスキーに目覚めたので特に感想は有りません。
塩しゃぶ。塩味のたれに好みで大根おろしを入れます。
個人的は旅館のメシでもなんでも、鍋は腹いっぱいになって他のものが食えなくなるので、敬遠したいです。
味自体はまあまあ。
地鶏炭火焼。本場宮崎のは食ったことがありませんが、少し苦かったです。
もうすでに腹いっぱいです。
チキン南蛮。ちょっと衣が甘い。そして何よりも腹いっぱい。
デザート。腹いっぱいで食えませんでした。
1人3250円で腹いっぱいになりましたが、定価の6500円は高いですね。飲物合わせたら2人で15000円超えますから。
鳥刺しに目覚めたので、つぎはそれ系の店に行こうっと。
ふろーすれ1
スプリンターズS
2000年のスプリンターズSで最低人気のダイタクヤマトが勝って、馬連250倍になったのを1万買って以降ずっとダイタクヤマト捜しの旅に出ております。
今年はキンシャサノキセキから馬連ワイド総流し、かつグリーンバーディー、ファイングレイン、ヘッドライナーに厚く買いました。
ファイングレインがダイタクヤマトになってくれないかな。
ふろーすれ1
間違いだらけのビール選び 改訂版
キリンクラシックラガー
生じゃないキリンラガー。トップカンパニーキリンは無駄に品種が多い。一昔前のトヨタ自動車のよう(スプリンターとかチェイサーとかクレスタとかもう無いでしょ?)。
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琥珀ヱビス
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「ビール園の開園当時に生まれた、ドイツ風の本格的な高濃度、高アルコールの淡色ビール、濃醇でたっぷりコクのある味わい。」
らしい。まったく特徴は無いし、コーンスターチも入ってる。いらない。
アサヒ ザ・マスター
同価格帯で他にうまいビールあり。買う必要なし。
発泡酒界のトップブランド。出た当初は悪くないと思ったが、新ジャンルでおいしいのが出てきてて、約10円高いこれを飲む理由が希薄。
キリン 円熟
カローラにおけるスプリンターみたいなもん。いずれ姿を消す。
淡麗と同じく、今は発泡酒よりおいしくてやすい酒がある。
- タイトルの元ネタ
- 間違いだらけのクルマ選び―全車種徹底批評 (2000年版)/徳大寺 有恒
- ¥1,470
- Amazon.co.jp
ふろーすれ1
33歳の別れ
ブログネタ:失恋したときに聴きたい曲は? 参加中
あれは33歳のとき。10年以上勤めていた会社が廃業して途方にくれていた頃。
10代の頃から付き合ってた女性に別れを告げられました。
感傷に浸ってはいられないので、生きるために職を探しました。
30代の職探しは難航を極めました。
学生時代に取った資格、職場がヤバいとわかって慌てて取った資格はまったく意味を成しませんでした。
会社は30代の男に即戦力を求めました。当然未経験の職には就けませんでした。
とりあえず生きていかなければいけない私はバイトを探しました。そしてデリヘルのドライバーになりました。
仕事自体はわりと楽しかったです。
送迎だけではなく、空き時間にオプションのバイブを洗ったり、洗ったり、臭いをかいだり、洗ったり・・・
ただ、「ずっとこのままなんだろうか」と言う不安はありました。
あれは日曜日の夕方4時過ぎでした。
いつものように女性をラブホテルへ送り、駐車場で待機してたところラジオから音楽が。
その曲に私はクギづけになりました。
ミン・オン・トゥイーのバラード 三浦久(1994年)
ぼくの名前はミン・オン・トゥイー
ミャンマーからの留学生
しばらくの間 ぼくの話に
耳を傾けて欲しい
去年の春 ぼくは
信州大学に入学した
雪をかぶった日本アルプスが
とてもきれいだった
思い返せば昔のこと
ぼくはベルギーへ行った
化学兵器の研究のため
政府から派遣されて
来る日も来る日も没頭した
毒ガスや細菌の研究に
素早く効果的に人を殺す
化学兵器ををつくるために
ベルギーへ行って2年目の夏
遅ればせながら気がついた
政府はぼくが作る化学兵器を
国民に向けるだろうと
ぼくは何日も考えた
こんなふうに生きて行きたくないと
そしてついに決心した
国へもどることを
ぼくの父は元軍人で
政府の高官だったが
政府のやり方に嫌気がさし
密かに活動を始めていた
ぼくは政府の方針に逆らい
勝手に帰国したかどで
刑務所にぶち込まれ
毎日取調べを受けた
そのうち大規模な民衆運動がおこり
国は無政府状態におち入り
全ての政治犯は釈放された
ぼくもその中のひとりだった
このまま国に残ることは
あまりにも危険だった
ぼくは日本へ行くことを決め
東京の日本語学校に入った
その間に国の名前は
ビルマからミャンマーに変わり
軍事政権が樹立され
銃口を国民に向けた
ぼくには三人の弟がいたが
一番下の弟は
おととし反政府デモの最中に
撃ち殺された
それからひと月もたたないうちに
母は病に倒れ
悲しみのうちに息を引きとったと
父の手紙が伝えてきた
どうしたらいいかわからなかった
でも国へ帰ることはできなかった
死んだ母や弟を思い
辛い日々が続いた
日本語もかなりわかるようになったし
しばらく日本にいるのなら
日本の大学に入学して
勉強したいと思った
去年の春 静岡大学と
信州大学に合格した
どっちがいいか日本語学校の
先生に相談した
「君はミカンとりんごの
どっちが好きか」と彼はきいた
ぼくが「りんごです」と答えると
「じゃあ信州大学だ」と彼は言った
四月になり、学校が始まり
ぼくは松本へやってきた
山に囲まれた美しい町
心に平和がもどってきた
去年の6月 父と弟たちは
イギリスへ亡命した
ぼくは彼らに会うために
夏休み イギリスへ行った
彼らはバーミンガム郊外の
小さな家に住んでいた
かばいあい 身を寄せながら
ひっそりと生きていた
忘れもしない 8月3日
ぼくはひとりでドライブに出た
グラスゴーへ向かう田舎道
トラックに追突された
車が川に落ちる前に
ぼくはなんとか飛び降りた
薄れゆく意識の中で
走り去るトラックが見えた
気がついた時 ぼくは
病院のベッドに横たわっていた
大腿部骨折 頭部打撲
全治3ヶ月だった
父と弟たちが知らせを受けて
あわてて病院へかけつけた
父はぼくの手を握りしめ
「しっかりしろよ」と言い続けた
彼らはその晩もどって行ったが
決して家にはたどりつかなかった
車に仕掛けられた爆弾が
彼らを吹き飛ばした
一年足らずの間にぼくは
家族をみんな失った
なぜ父が母が弟たちが
殺されなければならなかったのか
ぼくにはどうしてもわからない
なぜ人と人が殺し合うのか
多くの生命が失われた
主義や正義のために
ベトナム アフガニスタン カンボジヤ
南京 アウシュヴィッツ クロアチア
多くの生命が失われた
主義や正義のために
りんごが赤く色づく頃
ぼくは松本へもどってきた
日本アルプスはまた雪をかぶり
空は透きとおるように青かった
最後にひと言 日本政府に
言っておきたいことがある
ミャンマーの軍事政権は
日本のODAが支えていることを
ぼくの名前はミン・オン・トゥイー
ミャンマーからの留学生
ありがとう ぼくの話を
最後まで聞いてくれて
この詞は実話です。
実在のミン・オン・トゥイーさんは、祖国で2001年に病気で亡くなられたそうです。
この曲を聴いて、「あー、世の中にはこんな人もいるんだから、俺も頑張らないとな。」と決心しました。
そして以前と同業の職種に就き、日夜こんな格好や

こんな格好をしています。

職種を聞くのは野暮というものです。
ふろーすれ1
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