「生々流転」
好きになるたび、切なさも広がっていく。僕はいつか必ず彼女のもとを離れると自分で分かっている。
この世界に確かなものなど何もない。僕らの目に見えているのも、単にいまある状態にすぎない。山も川も海も形を変える。星でさえ永遠のものじゃない。
だからこそ、人は形あるものを求め、形のないものに形を与えようとする。ただ同じ空間にいることを、たとえば組織や結婚という枠で囲おうとする。僕らの居場所は意識の中でこそ作られる。
でも人は嘘をつく。
ある卒業メンバーがこう言っていた。「嫌なことでも嫌われるのが怖いから言えなかった」
アイドルというものが本質的に嘘を必要とする生業なのだとしたら、僕らはいったい何を信じれば良い? 意識の中にしか居場所はないのに、彼女が表明する喜びも悲しみも偽りなのだとしたら。
推しの本音はいつだって怖い。だから僕はいつも心の声に耳を透ませる。言葉は信用できないから、ひとつひとつの行動や仕草からメッセージを受け取ろうとする。
髪を染めたとか自分のコメだけスルーされたとか、そんなことで離れてしまうのは、きっと拒絶されたように感じるから。拒絶されることへの恐れはずっと胸の内にあって、脱兎のごとく逃げてしまう。たとえそれが、誤解や錯覚でも。
望みは推しを思い通りにすることではなくて、単にお互いの願いが一致すること。同じ夢を見続けられること。ここに居てもいいと思えること。でも彼女と僕とは違う人間だから必ずどこかでズレが生じていく。それも仕方のないこと。
それじゃあ、なぜ推すのか。
それは、なぜ生きるのかという質問に似ているかもしれない。人はみないつか別れの日がくる。それは悲しいことだけれど仕方がない。それでも僕らは今を生きて行くしかない。たとえば、そういうようなもの。
せめて今ここにいる間は、あの子の心を守りたい。ネガティブな言葉が突き刺さってしまうなら、1000の言葉でその矢を引き抜こう。あの子が自分はここにいても良いんだって思えるように。