結論として、「推しが武道館にいってくれたら」最高だって話ですよ。
いま一推しのマンガ、平尾アウリさん原作の『推しが武道館にいってくれたら死ぬ』。先日、第二巻も発売されまして、さっそく紙で買っちゃいました。Kindle版もあったんですが、なんかこれはもう紙でほしいなと。
で、早く続きが読みたいな~と思っていたところ、(今月号から掲載誌COMICリュウの最新号はKindle Unlimitedの対象から外されてしまったのですが)なんと…今号の巻頭カラーなので、「なか見検索」で最新話が全ページ読めてしまうではないですか!
わ~いわ~いヽ(^。^)ノ
と、いうわけで早速…
( ..)qピッ
なんかね~…この、
間接的に わたしは舞菜と共に生きているのだ~~~!!
って絵も良い絵だし…(とくに表情!)
最後のページのキュンキュン感は、いったいなんだ!? と。癒されるわ~…←
この漫画の何がそんなに惹きつけるのか。それは「リアル」だってことなんですよね。何に対してリアルか。それはひとつには、岡山の地下アイドルって具体性と、もうひとつはたぶん、僕らの心情がリアルに現れているということなんです。
アニメやマンガなどで「アイドルもの」って割とあるわけですが、ぼくは何となく「別物だな」って気がしていて。「スクールアイドル」のように端から別物として出てきたり、あるいは職業アイドルであっても想定されているアイドル像が一時代前だったりします。
なにより、そこには「ヲタ」が不在なんです。「48現象」というのは、ヲタをも含めた現象だった、というのは2007年の名著『48現象』がすでに明らかにしていたことですが、「現場」が重視される現代のアイドルシーンにおいて、ヲタって要素は外せません。
そこを外してしまったり、戯画化してしまうことで、ファンタジーとして綺麗な世界を成立させる。それはそれでひとつのやり方でしょうが、それによって現代のアイドルシーンが描けなくなってしまうこともまた事実です。あそこに描かれている世界には、良くも悪くもぼくらは居ないんです。だから、面白いとは思っても、心情的にピンとは来ません。少なくともドルヲタとしては。
そこへ行くと、「推し武道」では、ヲタがちゃんと描かれているんですよね。コメディ漫画なので誇張されている部分はありますし、ファンタジー要素ももちろんあるのですが、描かれているヲタの心情に「あ…そうそう、ぼくらってこういう存在だよな…」って、共感できるんです。
えりぴよ、くまささん、基さんと、3者3様のヲタ像が描かれているところもうまい。「ヲタ」って一口に言っても、そりゃあ当然、色んな人がいるわけで。
ちゃんとリアルな世界で、でもそこに、わずかなファンタジー(汚れなき存在として描かれるChamJam)を混ぜる。しかも、安易に恋愛の方に回収しないで、あくまでも「ヲタ」と「アイドル」という関係性を維持する(「恋人」になってしまったら、「ヲタ」も「アイドル」も消失してしまいます)。だからこそ、キュンキュンくるわけで…だからこそ、癒されもするわけで…。
この作品が素晴らしいのは、そのようにして、「ヲタ」って存在を、その心情を、ちゃんと作品として昇華させていることではないでしょうか。ここには…ここに描かれている世界には、ちゃんとぼくらが居るって気がします。
ちなみに、ウチの推しは3年位前、デビュー数か月ですでに武道館に立っちゃってるんですけど…
あれ? リアル…あれ?←