整理(イメージビデオ問題)
発端は「人権団体」HRNが秋葉原には「児童ポルノ」があふれているとする報告書を出したことでした。ところが、児童ポルノとされたものの中身がじつは単に子供っぽく見える成人女性のAVだったことが分かったりして、炎上しています。
いま炎上しているのは「AV」なのですが、もうひとつ「イメージビデオ」の問題があって、こちらはまた別問題です。なぜなら「AV」では18歳未満の出演者などありえない(ことになっている)のに対し、「イメージビデオ」では実際に18歳未満の出演者がいるからです。そのため、この報告書を受けて、名指しで批判された大手配信/通販サイトのDMMでは、18歳未満が出演しているすべての「イメージビデオ」の取り扱いを停止しました。
この問題に関する僕の考えは以下の通りです。
まず、大前提として「児童ポルノ」は社会から抹消すべきであるという考えには賛同します。また、「イメージビデオ」と呼ばれるものの中に、「エロ」を目的としたもの(=ポルノ)があり、かつその中に18歳未満が出演しているものがあったのも確かだと思います。過去に実際に逮捕者が出ていますしね。そういうのは別に排除して良い。
ただですね。すべての「イメージビデオ」がそういうものではない、というのが僕がここで言いたいことです。「イメージビデオ」って聞くと、とかく水着でワイワイしている印象があります。たしかに、そういう方が売れるでしょうし、多くはそういうものです。でも、その一方で、水着姿さえないようなものだってあるわけです。たとえば、石原さとみさんの『なつの雪』(2003)とかですよね。
今回、DMMはそういうものもひっくるめてすべて取り扱いを停止してしまいました↓
つまり、DMMは現在の「イメージビデオ」の領域に、
イメージビデオ18歳以上
----------------------
イメージビデオ18歳未満
という横線を入れて二分割し、その下の部分をすべて除外したということですよね。まあ単に原則に従っているだけなのは分かりますし、そう判断するのは一企業の自由なのですが…。でもやっぱり、それはないんじゃないのと。圧力があると簡単に屈服して「自粛」してしまうのは、この国の悪いクセですよ。
ぼくは、これを四分割したいのです。つまり、エロ目的の…ここでは仮に「着エロ」と呼びましょうか…「着エロ」と、そうではない「イメージビデオ」に分割する縦線を入れるのです。つまり、こうなります。
イメージビデオ18歳以上 | 着エロ18歳以上
-------------------------+----------------
イメージビデオ18歳未満 | 着エロ18歳未満
この内、右下の領域(着エロ18歳未満)のみを排除していくべきなのでは、と。この縦線を引くための客観的な判断基準が存在しないため、どこまでを「イメージビデオ」とするか難しいのもたしかです。DMMがすべて排除対象としてしまったのも、その判断基準を設定することの難しさを表しているでしょう。たとえば、「『なつの雪』にも胸元甘いシーンとかあるよ」とか言い出したら、それこそキリがない。
それでもですね…「イメージビデオ」の領域をポルノ的なものから分離させないとですね、やがてはひとつの文化領域がまるごと抹消されてしまうかも知れない。それは困ります。少女のもつ特有の魅力というのがあって、「イメージビデオ18歳未満」の領域でしか表せられないものというのがあると思うのです。
石原さとみさんの『なつの雪』には、良いシーンがいくつもあります。中盤、ひぐらし鳴く夕暮れの畑道で自転車を押していくシーンとか、雪が積もった道を白いダッフルコートに赤いマフラー姿で歩いていく姿とか、その背景にボヤけて映っている鉄道信号とか。ニット帽にベージュコートでソリをする素のシーンとか。
半分ドラマ仕立てになっていて、彼女の大女優としての資質を見ることができるところもポイントです。手紙の相手がじつは発声障害だってことに気付くシーンの演技なんかは、今見ても鳥肌モノのところがあります。シリアスなシーンで「カット」の声が掛かった後にニヤっと微笑んじゃう可愛らしい場面もあるんですけどね。
「そんなの映画で良いじゃないか」って思われるかも知れませんが、構造的に物語<出演者である「イメージビデオ」では、そうした魅力がより純化した形で現れるんです。だって、ずっとその子しか映してないんですから。目の輝きとか表情の変化、その子の世界にずっと浸っていられることで見えてくるものがあります。
もうひとつ、「芸術」と「イメージビデオ」は違うんですよね。なにが違うか。「芸術」は、いまでは必ずしも「美」と関係をもつものとは考えられていません。もちろん、「美しい芸術」というのはあるのですが、「芸術」すべてが美しいものだとは限らないのです。
それに対してですね…すべての「イメージビデオ」は美しくなきゃいかんのです。それは「イメージビデオ」である限りそうです。だから、その点で「着エロ」とも違うのです。もちろん、「着エロ」の中にも「美しい着エロ」はあるでしょうが、それが機能主義的なものである限り、すべての「着エロ」が美しいとは限らんのです。
で、どうやって区別するか。個人的にはですね…極端なことを言えば、良いですよ、別に。水着がなくても。水着が必須だとは思わないんですよね。可愛い子が可愛い恰好をして、それでワイワイやっているのが見たいんで、別に水着である必要は必ずしもないんです。
「いや…それではつまらん」って言う人もいるでしょうし、「水着=エロじゃないよ」って言う人もいるでしょう。「水着がなきゃ売れん」ってのもたしかでしょうし。線引きに関しては議論の余地が色々あるでしょう。ただですね、繰り返しになりますが、いま「イメージビデオ」と呼ばれているものの中で「イメージビデオ」とそうじゃないものを区分けしていく必要はあるんだろうと思います。