四月は君の嘘 (2016)
監督:新城毅彦
概要
第37回講談社漫画賞に輝き、アニメ版も放送された新川直司による人気コミックを実写映画化。母の死をきっかけにピアノが弾けなくなった天才ピアニストの少年と、自由奔放なバイオリニストの少女が、互いの才能を認め合い成長していく姿を切ない恋模様を交えて描く。『海街diary』などの広瀬すずと、『ヒロイン失格』などの山崎賢人が主演を務める。監督は『潔く柔く きよくやわく』などの新城毅彦、脚本をテレビドラマ「砂の器」や『ストロベリーナイト』シリーズなどの龍居由佳里が手掛ける。(シネマトゥデイより)
感想
1.
今年は邦画界にとって、一大転機となる年だった。漫画の実写化『ちはやふる』、VFX特撮『シン・ゴジラ』、オリジナルアニメ『君の名は』…各ジャンルにおいて今後の基準となるべき作品が立て続けに現れた。
それらはすべて東宝配給で、しかも製作には市川南(東宝映画社長)が入っていた。東宝は、市川南は、今年、なにかを掴んだんじゃないかと僕は思った。惨憺たる邦画界にようやく光明がさしてきたように思えた。
この映画を見るまでは。
ダメじゃん、東宝。ダメじゃん、市川南。全然、分かってないんじゃん。この映画、これまで散々言われてきた「邦画のダメなところ」がすべて出てしまっている。
2.
ファンがたくさんいるので映画化に賛否両論あるのは分かっていますが、原作と映画は別物です。原作の世界観は大事にしないといけませんが、映画にする以上、自分の「プラスα」を乗せたいと思っています。
本作の監督の言葉。別物? なにを言ってるんだ。『ちはやふる』が出てくる前だったら、「どうせ実写化だし…」と、僕も諦めていたろう。でも、でも今はもうそういう言い訳が通用しない。ああいう映画を作れちゃったんだから。
『ちはやふる』実写版も原作とはある意味で別物だったけれど、あれはあれでちゃんと『ちはやふる』だった。ストーリーとかキャラクターとか、それらを一回すべて融かして、そうして映画の形に収めてあった。それは、ちゃんと原作を深く理解しているからこそ、出来たことで。
プラスα? なにを言ってんだ。漫画とかアニメを実写化する以上、マイナス5億点くらいのところからスタートしていることに気付けと。死にもの狂いで原作を追いかけて、それでも同じに出来るわけがないから、なんとか暴れ馬を自分の方程式に当てはめて、それでようやく原作ファンも見られる映画になるんで。
この監督みたいに、はなから「別物」なんて割り切っている奴に、こういう原作物を撮って欲しくはない。大体、この人が監督した実写版『パラダイス・キス』はYahoo!映画で平均2.15という低評価を受けている。あのサイトを全面的に信用できるとは言わないけれど、それでもやっぱり低すぎる。こういう監督を使っちゃダメなんだって。この監督を使った時点で、もうこの映画は負けなんだ。
まず、映像にイマジネーションが足りない。音を聴かせられない漫画において、どうやって音楽を奏でるか。それは絵によって音楽を表すしかない。そこにはイマジネーションが必要で。『四月は君の嘘』の原作はそのイマジネーションに満ちていたし、それはアニメにおいてもそう。
でも、この実写版…演奏シーンなんて、ホントにただの演奏シーン。実際に音を流せることにあぐらをかくな。ホールで演奏しているのを映しただけで、それで満足するなよ。たとえば、青空の下で二人が演奏しているイメージカットを挿入したって良いわけで。イマジネーションがなきゃさ、素晴らしい演奏をしているってことが伝わってこないじゃない。ただセリフで「凄い」って…伝わるかー!! 鳴っている音楽自体、そんな大した演奏じゃないんだしさ*。映画屋が画の力を信じなくてどうすんのよ。
しかも、音と画がかみ合っとらんのよ。ピアノの場合、顔を映しても手が隠れるから、まあ何とか誤魔化しがきくけれど、バイオリンの場合はそうはいかない。上半身を映せば、必然的に顔と手が同時に映ってしまう。その手の動きと音が全然かみ合っとらんから、全然ライブ感がない。イマジネーションもライブ感もないって、この映画どうなってんのよ。そこをバレないように作るのが監督の仕事でしょうに! 引き出しが無さすぎんのよ。
(音楽漫画の実写化は難しい? 『のだめ』も『マエストロ!』もちゃんと出来てたよ!)
3.
そもそも実写は時間にメリハリをつけるのがむずかしい。漫画だったらフレームの大小や配置で時間をコントロールできるし、アニメだったら時間を伸び縮みさせ易い。たとえば、土煙を上げながらあっという間に画面の向こうに走っていったり、パッと時間を止めて顔のアップで独白シーンを挟み込んだりというのも、違和感なくできる。実写ではそれが出来づらい。
だからこそ、それなりの工夫が必要で。たとえば、『ちはやふる』では「ファントム」というハイスピード・カメラによるスローモーション映像によって、競技かるたの躍動感が表されていた。伸び縮みする時間、音の入るタイミング。あの映画は(競技シーン以外も含めて)全体、音楽的なリズムをもっていた。
そして大事なのが脚本。じつは、最初にあげた3作にはひとつの共通点がある。それは監督(総監督)が脚本も兼務していること。この利点は明確にあると思う。それは、脚本と演出を有機的に結び付けられること。とくに顕著なのはリズム。脚本のリズムと演出のリズムが一致する。『ちはやふる』が音楽的な映画になっていたのには、そうした理由もあったろう。
あるいは、『シン・ゴジラ』で庵野さんが用意した脚本は、通常でいったら3時間分くらいあったらしい。でも、2時間におさまった。なぜなら1.5倍くらい早口でセリフを言わせたから。こうして、あのジェットコースターみたいな映画が生まれた。これなんてまさに、脚本と総監督を兼務しているからこそ出来た芸当だ。
ぼくは、いまの映画は音楽であるべきだと思う。
『四月は君の嘘』、これ音楽の映画なんだよ。でも、演技は間延びしているし、言葉(音)と演出のリズムもかみ合っていない。てんで音楽になってないんだ。紙芝居だよ紙芝居。ああ、もう、何でもかんでもセリフで説明するな!
その上、この脚本、「公生/かをり」のメインプロットと「公生/お母さん」のサブプロットがほぼ完全に分離してしまっている。しかも、そのせいで両方とも薄まってしまっている。だから、感情の流れも唐突に感じる。こんなことやるくらいだったらサブプロットは諦めた方が百倍マシ(設定として残しておけば良いんで)
「君嘘」は最後で泣けるかどうかが勝負なんだからさ、もう結末分かってたって泣けてしまうくらいにズルく作ったって良いんで。それをやるにはラストシーンから逆算して作れば良いわけで。余計な要素は全部端折って良いのよ。これは詰め込みすぎ薄めすぎ。
だからなんで、こういう「脚本屋」を使うんだって。この人(龍居由佳里)が書いた『小さき勇者たち』なんて、ガメラファンの間でさえ、もう無かったことにされてんのに。
4.
カメラは…淡く白く飛ばされたイマドキの映像だし、風景描写もまあまあ良い(富士宮北高と…あと僕が気に入っている茅ヶ崎の「海への歩道橋」が出てた!)。それに「ブレーメンの音楽隊」のシーンもなかなか良かった。
ただ…広瀬すずをなんであんなに可愛くなく映せるんだと。若手俳優がメインになる映画で、これはダメでしょ。
大体、広瀬すずはなんであんなに日に焼けてるんだと。『怒り』(来週公開)の撮影で焼けたからなのか? そうなのか? だけど、その時点でもう広瀬すずはキャスティングすべきじゃない。スケジュールがどうとか関係ない。映画の質を落としているんだから、はっきりとミス・キャスト。
とかくアンチの多い広瀬すずだけれど、『海街diary』や『ちはやふる』では有無を言わせぬ魅力を見せていた。いまや引っ張りだこの彼女。でも、そのせいでひとつひとつの作品に全力傾注できないんなら本末転倒だ。彼女のマネージメントは、もっとちゃんと考えた方が良い。この映画の出来は彼女にとってもマイナスでしかない。
ダメだったのは石井杏奈もそう。明るく元気で健気な「椿」のイメージが全然ないし、なにより演技がヘタすぎる。だけど彼女、昨年の『ソロモンの偽証』では良い演技を見せていた筈。結局、監督がダメすぎるんで。
(ここ最近のROBOT作品、『幕が上がる』とか『ちはやふる』では、平田オリザのワークショップが高い効果を上げていた。若手俳優をメインで使う映画では、そういう、いわば「フェイル・セーフ」の機構が必要なんじゃないのかな)
男性陣はそこまで壊滅的じゃない。山崎賢人は公生のイメージではないけれど、まあ色のない主役という点ではとくに問題なかった。それから、渡役の中川大志はメインキャストのなかで唯一「良かった」と言える。
5.
『ちはやふる』と同じ製作、配給、主演で、でもこういう作品が作られる。結局、大事なのは監督と脚本って話。せっかく邦画界が新しいステージに入ったと思ったのに、時計の針を元に戻すなって。これを見て、また劇場に足を運ぼうと思える人が果たしてどれだけいる? 正直、退屈でたまらない映画。
☆☆(2.0)
追記
「君嘘」アニメ版を見返してみた。最後、原作では「好き勝手やったりました」になっているところが「やったり"し"ました」に変えられてるんだね。前者の方が(ざっくばらんな)かをりらしいし、「やってやった」というそのニュアンスが良いのに。それと、シーン全体の演出も僕の解釈と違ってた。淡々とした朗読/語りかけの方が気持ち伝わるな…って。少なくとも僕はそう思う。その辺の解釈は、むしろ実写版の方が近かったかも知れない。