色々と思うこと | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


1.渇き
AKB48運営がメンバーに「黒髪にするように」と指導 → 秋元康「意味がない。髪の色なんか好きにしていいよ。」

 なんだこの気持ち悪さは…。集団がビジュアル的に画一化することに意味/インパクトがあることは、『おそ松さん』がはっきりと示している。それはじつは「制服アイドル」であるAKB自体が示してきたもの(秋元康本人だってかつては分かっていた筈だろう)。グループとしてのビジュアル的統一感と、それぞれのキャラクターの差異(個性)は別に矛盾するものじゃない(『おそ松さん』がそうであったように、制限の中でこそ光るそれぞれの個性だってある筈で)

 とくに生身の存在であるアイドルの場合、自由に羽ばたこうとする女の子の部分とそれを抑圧するアイドルという概念の間のせめぎ合いが緊張感を生むんであって、それはアイドルである限り逃れられない宿命みたいなもん。「そもそも全て自由」みたいな上の言明は、単なるリベラル気取りのものでしかない(大体、チーム8のことを考えると、こんな言明はダブルスタンダードだ)

 「個性個性」でなにも身動きが取れなくなっているのがいまのAKB。どういう方向でやりたいんだというグループの方向性が見えない(個性重視ってのは要はみんな方向がバラバラってことだから)。グループ単位に限らず、それぞれのチームカラーとかあって然るべきなのに(チームMみたいなチームもあって良いけれど、軍隊みたいに統一されたチームもあって良い)、結局、どのチームもバラバラという意味で同じに見えてしまう。個性重視という名の没個性。誰かビシッとまとめろよ! と言いたくなってしまう。結局、反骨精神だって決められた枠組みがあるからこそ活きるんで(かつての板野友美のように)、こんな何にも決めないでバラバラになってるのなんて、それこそナンセンス。

 この件(その顛末)と良い、いまの秋元康は色々と気持ち悪すぎてついていけない。なんだか宇宙人の言葉を聞いているような気持ちになる。いつのまにだか「体制の犬」になっちまっちゃんじゃないか。社会の常識をそのままなぞったようなコンテンツなんてくそほども面白くない。「個性が大事」なんてのは、現代社会では誰もがノーリスクで言えるセリフだ。僕にとって、どんなコンテンツが面白いかと言えば、多くの人が心の奥底ではそう思っているけれど、それは言っちゃいけないよね…みたいなことを言ってしまっているコンテンツ。芸能という世界に働いている力を露悪的に表し、また同時に、「やる気がないのがカッコいい」みたいな時代に「ガチ」をぶつけたAKBは、本来その象徴だった。

 岡田斗司夫が(くそほども面白くない)近年の押井作品を見続けるのは、ヲタにとっての「税金みたいなもん」と言っていたけれど、いまのAKBもちょうどそんな感じ。面白くもないのに見続けている。岡田さんは、庵野秀明が『シン・ゴジラ』を作ったから、「押井さんはもう引退していいよ」とも言っていた。アイドルでも同じことが起きたら(坂道シリーズは結局、そういうものには成り得なかった)、僕も秋元康に同じことを言うだろう。僕はいま、渇き切っている。

(時代はいつ変わるのか。邦画では、2016年がターニングポイントとなる年だった。アイドルの時代はいつ変わるのか。それともそれは単に僕の「終末願望」に過ぎないのだろうか。)


2.敗北
「DMM、18歳未満出演のイメージビデオの取り扱いを停止」

 DMMでU18のイメージビデオが全面撤退。企業としての判断だから、とやかく言うことはないけれど、AKB系やハロプロ系はもちろん、水着にすらなっていない石原さとみのイメージビデオすら取り扱いを停止されている*なにかクレームがあると(ここでもまた、あの伊藤和子が関わっている)、問題を避けるために全面撤退してしまう。どこまでが黒でどこまでが白か判断できないから、全部をやめてしまう。「黒人差別をなくす会」のころから、この国は変わっていない。

 これは僕らの敗北だと思う。アートでもないポルノでもない、アイドルのイメージビデオというそれ自体の価値をちゃんと言葉にできてこなかった僕らの敗北だ。僕にとって、アイドルのイメージビデオは、アートにもポルノにも還元できないものであって、それはたとえば、『時をかける少女』のEDで原田知世さんが歌っている場面とか、『SKE48学園』でくま(熊崎晴香)がピンポンするシーンとか、そういうものにも現れていたもの。それをより純化したのが良いイメージビデオだと僕は思う。

 石原さとみの『なつの雪』はそういう意味で名作だった。パッケージにもなっている雪ん子のシーン。ストーリー仕立てではあるけれど、あれには彼女が出演している他の映画やドラマにはない魅力があった。
 
 でも、そうしたイメージビデオ独自の価値というのは、たぶん多くの人には理解されていない。アイドルを良く知らない人に、アイドルとは恋愛の代替えでしかないと捉えられるように、イメージビデオもまた、ポルノの代替え品でしかないと捉えられる。それに結局、ポルノは強いからさ…製作者からしても「ポルノとして」イメージビデオを作った方が儲かるわけで。そういう連中によって、この世界が汚されていったのも事実だ(ここで僕はポルノ自体を否定したいわけじゃない。「イメージビデオのフリをしたポルノ」がイメージビデオの領域を汚していったと言いたいのだ)

 それは結局、それら独自の価値を言語化できず、それらの領域を保持できなかった僕らの敗北でもある。アートはそのプレイヤーであるアーティストによって言語化されてきたし、余所からの侵略に対して「あれはアートではない」と宣うことによって、自らの領域と地位を保ってきた。でも、アイドルワールドのプレイヤーであるアイドルは、そういう言葉をもっていない。それは僕らファンにかかっていた筈だけれど、僕らにはそんな力はなかった。