正しくあるために11(48と機会均等について) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

(じつは、のちに述べるようにこの記事自体がすでにout-of-dateなのですが…書いちゃったのでいちおうアップしておきます)



 遺憾ながら、あなたが入学選考において不合格となりましたことをお知らせいたします。この決定にはなんら悪意が含まれていないことをどうかご理解ください。われわれは、あなたが劣っているとは考えていません。実際、あなたの価値が合格者より低いとさえ考えていないのです。

 あなたが発揮しうる資質を、社会がたまたま必要としない時代に生を受けたのは、あなたの落ち度ではありません。あなたの代わりに合格した人びとがその立場に値するわけでも、合格の要因となったものに対する称賛に値するわけでもありません。われわれは合格者を、そしてあなたを、より広い社会的目的のための道具として扱っているのです。

 あなたはこの知らせに落胆なさることでしょう。けれども、あなたが本来持っておられる道徳的価値が、何らかの形でこの決定に反映しているなどと考えて失望を大きくなさらないように。われわれはあなたに同情しています。あなたが出願された際に社会がたまたま求めていた特質を、あなたがたまたま備えていなかったのは誠に残念なことでした。次回はより幸運に恵まれますようお祈りいたします。
―マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』



 2015年3月31日。SKE48研究生全員昇格(加入したばかりの7期生をのぞく)。

 ドラフト会議以来ずっと喉元に引っかかっていたひとつの不正義にようやくケリがつきました。いま残っている子はホントに精鋭だと思いますし、よく踏ん張ってくれたと思います。これでようやく、みなが手をつないで新たなスタートを切ることができる…と思いきや。

 また耳を疑うようなニュースが飛び込んできたのです。5月に行われるマジスカ学園の舞台。48全グループ(AKB/SKE/NMB/HKT)から107名がオーディションを受けたらしいのですが、結局、受かった14名は全てAKBの若手メンバーでした。

 こういうことがあり得るかどうかという話は別にして、理由は推測できます。Pの秋元さんが言っているように、「稽古場やスケジュールの問題」があって、東京で活動しているAKBのメンバーが選ばれたということでしょう。

 だったら、「そもそもオーディションなんか開くなよ」と言いたいところですが、プラクティカル(実践的)な問題としては理解できます。もちろん、それならそれで、ちゃんと事前に説明すべきだったとは思いますし、こういう部分が運営はホントに弱いと思うのですが。

 それよりボクをウンザリな気分にさせたのは、日刊スポーツが出しているAKB新聞の某S記者の発言です。これまでにもトンチンカンな発言を繰り返してきた人ですが、今回は次のように宣うたのです(この記事を書き上げた時点で、彼は発言を謝罪しました。なのでこの記事自体がすでにout-of-dateになっています)。



むしろ私は、今回の舞台は100%ガチで演技できる子を選びにいったなと感じました。 演技経験ある子、本気で即戦力になる子ばかりでしたから。 むしろガチでないなら、ちゃんと4グループから選ばなきゃとしがらみに捕らわれていたでしょう。 ファンの皆さんのそれぞれの感情までは、私から何か言うことはないですが、 もしも「AKBだけの舞台なのかよ」と不満に思った姉妹グループのメンバーがいたとしたら(僕はいないと思いますが)、 それを自分が落ちた言い訳にしたらこの先の進歩はないよとだけ、アドバイスしたいです。 そもそも建前だけのオーディションなんて、そんな面倒なことする理由がありませんし、 何よりも圧倒的な実力があれば受かるのですから。



 たしかに、メンバー自身は与えられた状況でベストを尽くすしかありません。ですから彼女たちに言えることも、(SKE研に対するのと同様に)「苦しいだろうけれど、その状況で踏ん張ってくれ」ということしか出来ないのです。

 しかし、それだけですべてがまかり通るわけはありません。大人たちには、その状況自体を少しでも良くしていく責任があるはずです(たとえ外部の新聞だとしてもね)。その部分を無視して彼女たちにすべてを放り投げてしまうのは、あまりに無責任でしょう。

 彼の言葉のどこが間違っているか。それはなによりも「機会の平等」(機会均等)の原則に背くからです。

 平等という言葉を使うとすぐ目くじらを立てる人がいますが、そうした場合の多くは「結果の平等」と「機会の平等」の違いを理解していないように思えます。両者の違いは、単純に言って、前者がみなで手をつないでゴールラインを切るという考えなのに対し、後者はヨーイドンでみな同時にスタートを切るということです。ゴールは誰が先に切っても良い。

 なので、「結果の平等」が共産主義と結び付くのに対し、「機会の平等」は競争原理を至上とする自由主義経済と結びつきます。なぜなら、機会の平等が保証されない限り、公正な競争が保障されないからです。公正な競争が行われなければ、やがて社会の活力は失われていくでしょう。

 「機会の平等」はボクらの社会の原則です。そもそも彼の言っていることは、「結果の平等」(共産主義)か「機会の平等」(自由主義)かとか以前の問題です。封建主義的だとさえ言っても良い。

 たとえば、貴族の子弟は普通の努力をすれば仕事を得ることができますが、平民の子でも何倍も才能があって何倍も努力をすれば同じ仕事を得ることが出来ますよ…って、なんじゃそりゃと。ボクらの社会ではそういうのは否定することになっているんです。

 あるいは、スポーツにたとえてもいい。東京のチームは11人で戦ってください、地方のチームは7人で戦ってください。それでも圧倒的な実力があれば勝てるでしょと。それでモチベーションが保てますか。保てないんですよ。どちらのチームもね。「保てないんです」って前提で、ボクらの社会のルールが作られているんです。

 芸能界は特殊だから、そういう考えは当てはまらないと考えられるかも知れません。同じですよ。むしろ同じでないといかんのです。ましてや、48のように、普通の女の子が数百人規模で集まっているグループではなおさらね(だからこそボクは、AKB共和主義者として、48は労組を導入すべきだと考えているのですが)。

 そもそも、お上があれこれ口を出すよりも、とにかく競争が公正に行われるか否かだけをチェックして、あとは各自自由にやらせるのがいちばん効率が良い。運営はすぐ教育者ぶりたがりますけどね。彼らのやっていることは、まるでアベコベです。組閣やら推しやら何やら変なところにばかり口を出して、肝心の競争が公正に行われていない。

 そうした新自由主義的な小さな政府論や、アファーマティブ・アクション(積極的格差是正)をどうするかとか、たしかに色々とディテールの違いはあります。でも、入り口のところの「機会の平等」という原則自体はボクらの社会の大前提である筈です。

 もちろん、どういう人材を雇うかってのは、その組織がなにを目指しているかによって決められるべきものです。ひとくちに「機会の平等」と言っても、その目指すべきものによって求められるものは変わってきます。

 今回の件に関しては、(秋元さんが言うように)その求められる部分に「首都圏在住」 & 「スケジュールが空いている」という要素が加わっていたということなのでしょう。それ自体は必ずしも間違ったものではありません。でも、それならばそれで、最初からちゃんと説明しなければなりません。

 もちろん、ここまで述べてきたことは、あくまでもAKB共和主義者たるボクの考えに過ぎないということは確かです。でも、そうしたボクの考えと48の理念ってのは、ある程度において一致すると思ってきたからこそ、ボクはここにいるわけです。

 それはたとえば、ペナントレースから撤退した時の「AKB48グループは競い合って磨かれる」という言葉や、なにより総選挙の導入によって明らかでしょう。

 「競争原理」を働かせるためには、「機会の平等」が確保されなければならない。何度も言いますが、それが大前提なのです。スタート地点が平等でなくとも圧倒的な実力があれば受かるなんてのは、単にいまある格差の肯定に過ぎません。そんなものはクソっくらえの封建主義(特権主義)だと言ってしまいましょう。