1.
2000年代後半から2010年代初頭にかけて、一部の映像作品では、宇野さんが称揚した「決断主義」をめぐる問題系で動いてきたように思う。
それは(アニメなどに良く見られる)ハーレム系作品群を考える上では有用だったものの、そうして生み出された結果は必ずしも芳しいものではなかった。典型的なのは『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』で。あれは途中までは素晴らしかったのに、最後に「決断」したことで、もう誰からも振り返られない作品になってしまった。
ただ単に決断すれば良いってもんじゃない。そんなことは、あまりに当たり前のことだった。問題は「決断するか否か」ではなくて、その決断(あるいは非決断)がどういう意味を持っているか、そこに至る過程がどのように描かれているか…という点にこそある筈だろう。
2
ここ数年、その(決断/非決断にいたる)心情に関して、あるひとつの価値観を訴える作品群が目にとまる。それは「自己中心主義」とでも言えるかも知れない価値観を訴える作品群だ。
このもっとも典型的な例が『風立ちぬ』になるだろう。あの映画の主人公である二郎は、あらゆることに脇目もふらず、とにかく自分のやりたいこと=飛行機作りに邁進していく。きわめて自己中心的な人物として描かれている。
そして『風立ちぬ』には、もうひとつの側面がある。それがもちろん、恋愛的な側面で。ここに目を向けた時に、また違う中心が見えてくる。二郎と同様に、ヒロインの菜穂子も相当に自己中なんだよね。
お互い自己中で、ホッブスの『リヴァイアサン』的な、こう…「自然状態」みたいな話だけれど、でも、ただ自己中でお互いを傷つけあうだけじゃなくて、お互いの自己中のなかで恋愛が成立していて。
これが言わんとするところはただひとつだと思う。それは、相手も相手でちゃんと自分のことを考えているんだから、相手のことを考えすぎる必要はないんだってこと。それはつまり、他者を他者としてちゃんと認めるってことだとボクは思う。
3.
たとえば、ハーレム系の話に戻すならば、ハーレム系の主人公に「決断しろ」って言うのは、ヒロインたちのことを「慮ってあげる」っていうような目線がどこかあるんだとボクは思う。でも、それは違うだろうと。
ヒロインたちをちゃんと他者として認めるならば、彼女たちだってちゃんと自分のことを考えているんだから、失望すれば離れていくだけだろうと。決断しないダメ男についていって人生狂っても、それは自分の責任だろうと。
だから主人公も(決断しようがしまいが)自分の好きにすればいい。それで決断しないでみんな離れていってしまったら、それもそれで主人公の責任なんだから。
これ、たとえば『幕が上がる』にも描かれていたことで。
(以下ネタバレ)
主人公のさおりは、吉岡先生に言うんだよね。「責任、取らなくていいです。私たちの人生なんだから」って。全国を目指すってのは自分たちが決めたことなんだから、それで色んなことが犠牲になったとしても責任を取ってもらう必要はないって、そう言っているんだよね。
でさ…その後しばらくして、吉岡先生は女優という自分の夢を追うために先生を辞めちゃう。この人もすっごく自己中なんだ。でも…それで成立しているんだよね。演劇部も壊れないで、ちゃんと自分たちの足で立つようになるんだ。
(ネタバレ終わり)
4.
『風立ちぬ』でも『幕が上がる』でも、明らかに「相手のことを考えすぎるな」って言っているし、ある種の自己中心主義を訴えている。これは、「思いやり」ってものの価値を教え込まれていたボクらには、少し違和感を覚える部分かも知れない。
もちろん、「思いやり」ってのは大切だとボクも思う。でも、昨今の状況を鑑みるに、こうした自己中心的な価値観を訴えることの意味も分かる気がする。
近年こういう作品が多く出てきたのは、とりわけ311以降の過剰な自粛が影響しているのかも知れないけれど、そうでなくとも、いまの日本には「自粛」が蔓延している。
「クレームが来るかも知れない」って可能性があるだけで「相手を慮って」自粛してしまう。80年代90年代の反黒人差別運動によって、漫画から黒人自体が消えてしまったなんて典型的な例だし、あるいは、数々の封印された作品や言葉もそうだろう。
恋愛に関しても、「草食系」というのは、そういう側面から考えられるかも知れない。ストーカー被害やセクハラ被害や女性専用車両がクローズアップされる一方で、多くの男子が「女の子に迷惑がかかるかも知れない」って可能性があるだけで、女の子から必要以上に距離を置くようになってしまう。
ここでボクはもちろん、人種差別やストーカーやセクハラを肯定しようとしているわけじゃない。それらは断固断罪されるべきだし、人が「イヤだ」ってことをやるのはサイテーだ。そういう奴らには何ら情状酌量の余地はない。
ただ、それらをあまりにおそれた結果、ことなかれ主義が蔓延して誰もなにも身動きが取れなくなってしまうと、なにも生まれなくなってしまう(文字通り)。いちばん迷惑がかからないのは、人と一切関わらないってことだからね。
自己中心的な価値観を描いた作品が訴えているのも(もちろん個々の作品が想定しているケースは様々だろうけれど)そういうことだろうと思う。
ある意味ではムチャクチャ言っているようだけれど、でもボクは、こうした作品を作る人たちは、むしろ人間存在ってものを信じている人だと思う。
たしかに、この世界には悲しいこと、許せない事件、たくさんある。でも、それ以上に多くの人々が心の内に優しさとか思いやりをちゃんと持っていて、みんながもっと自己中心的にやっても、社会やお互いの関係は成立するって、きっとそう信じているんだ。
(もちろん、そのためには、イヤなことはちゃんと「イヤだ」と言える環境を作ることが大切なんだけれどね)