アイドルの夢と現実 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


今回は番外編…
(おまけに、言っていることほとんど意味不明なのです)

1.
 ラブライブ二期の最終話は、こう締め括られます。
 
 「さあ行こう、私たちと一緒に見たことのない場所へ。見たことのないステージへ」「叶え私たちの夢、叶えあなたの夢、叶えみんなの夢!」。そしてセリフを言った時、ほのかは上を向きます。
 
 あの上昇の感覚。
 
 ここで述べられている「夢」ってのは、「見たことのない場所」と言われているように、なにか非常に抽象的なものです。具体性を伴っていない。これは、いかにもアイドルという非現実的な存在に似つかわしいとボクは思います。
 
2.
 もちろん、現実世界のアイドル本人からすれば、自分はどこまでも現実的な存在でしょう。でも、そうした現実の存在である人間が、非現実な高みに向かって上昇しようとする時、アイドルという存在に昇華する…とボクは思っています。

 「アイドルはトイレに行かない」とか、「恋愛禁止」とか、あるいは「永遠の17歳」とか、あれらが何を意味しているか…と言えば、現実の肉体に対する抵抗を意味しているわけです。現実世界の重力に引っ張られる肉体に抵抗して、非現実的な高みに向かって上昇しようとする。

 この非現実的な高み、それこそがボクが「夢」と呼ぶものです。「叶ってしまった夢」は、もはや「夢」ではない…という点で、それは現実的な目標とは切り分けられるものです。この夢というものがアイドルという存在を規定します。言い換えれば、常に夢を見続けられるという力がアイドルの力です。
 
 そこに到達できるわけではないけれど、そこに到達しようとする上昇の感覚が、アイドルという存在を生み出します。そうして、ファンの目をそこに向けさせることによって、夢というものを信じさせる。アイドルが「夢を与える」というのは、そういう意味でしかあり得ない…と思います。

 常に現実の重力に抗いながら、非現実と現実の狭間に浮遊する存在、それがボクにとってのアイドルです。そうして自らを(重力に引きずられる)肉体を持たない非現実的…あるいは半現実的な存在=そこにあるけれど触れ得ないもの…として提示するのです*。

(*1.田北ちゃんが「誰もアイドルとは付き合えない。なぜなら付き合ってしまった瞬間、アイドルではなくなる」と言っていましたが、ボクは、あれは完全に正しいと思っています。だって、そうした時、その子はもはや現実の重力に抗っていませんから)

(*2.触れ得ないものに触れるのが「美」の体験だというのが、ボクの考えです。アイドルにとって握手会というものが、なぜ重要なのか…それはまさに、触れ得ないものに触れる体験だからでしょう?)

 けれど、もちろん、現実世界のアイドルは、いつかは現実の重力に抵抗できなくなって、地上に堕ちていきます。

 あるいは、ボクはこれを雲にたとえましょうか。重力に抵抗しながら天と地の狭間に浮かぶものとしてね。そして、その中に入ってしまえば、それはもはや雲ではなく霧であるという点において、それは決して触れ得ないものでしょう。そして、それはいつかは雨となり地上に堕ちてくるのです。

3.
 いま、「夢」という言葉が二重化されているように感じます。もちろん、もともと夢という言葉は二つの意味を持っている言葉です。眠る時に見る夢と、起きている時に見る夢とね。ただ、この2つは共に「この手で触れ得ないもの」という点で共通していると思っているのですが。

 いま、その内の片方…起きている時に見る夢…がさらに二重化されているように感じるのです。

 ボクがここまでずっと書いてきたこと、それはボクの視点から見ているわけですよ。ボクは地上から雲を見ている。そして同時に、その先にあるものを感じているわけです。空とか星とか、そうしたものをね。そしてボクにとっては、それが「夢」です。端的に言って、それは上にあるものです。

 でも、アイドル自身からすると、その景色はガラリと変わります。「将来の夢」と言った時に、視線の先にあるもの…という点では同じです。ただ、いまは、それが現実世界のものになっていたりするわけですよね。もちろん、それが語の通常の使用です。全然否定すべきものではありません。

 ただ、これがアイドルの口から発せられる時に、地上から見ているボクは、なんか…すごく変な感じがするわけで。夢というのは、ずっと先の上の方にあるものだと思っているのに、地上(手が届く場所)にそれがあると言われているような…。なにかそんな感じです。

 つまり、二重化というのは、夢=星と、夢=地上の二重化です。だからなんか、『サカサマのパテマ』のような、星と思っていたものがじつは地面の光だった…というような、そんな気分にさせるわけで。じゃあ、星は一体どこにあるんだ…とボクは迷子になってしまうわけですよ。

 「普通の子に戻りたい」と言ったキャンディーズの言葉は、(ボク自身は全然その世代じゃないですが)すんなりと共鳴できます。これはいわば、「地上に戻りたい」と言っているわけで、その構図の上下は(地上で見ている)ファンと一致しているわけです。視点が第三者に設定されていると言っても良いですが。

 それに対して、『サカサマのパテマ』や『アップサイドダウン』的な世界観では、その構図の上下はその人がいる場所によって異なります。

 そして、そうした映画が10年代に立て続けに現れたことからも分かるように、それがたぶん、現代的な感性なんです。Aの上にあるものは、Bから見れば下にあって、Aの下にあるものは、Bから見れば上にあるっていうね…相対化された世界観。絶対的な何かは、そこには存在し得ない。

 たぶん、ボク自身が古い感性の持ち主なんです。青い花を求めるノヴァーリスのような、ロマンチズム的な感性のね。だからボクの言うことなんて、別に聞く必要はない…と思ったりもするわけです( ..)φ