風立ちぬ徒然 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「風立ちぬ徒然」

 昨夜、『風立ちぬ』のTV初放送がありましたな。劇場公開含め、すでに何度か見ているのですが、以前より輪郭をはっきりと捉えられるようになってきた気がするので、メモ書き程度に残しておきます。

1.
 まず、明らかなことがひとつあって、それはこの映画が自己中心的な価値観というかな…それを謳い上げているということでしょう。

 主人公の二郎は、人の話はまったく聞いていない、美しいものにしか興味がない。その上、結核の奥さんの隣でタバコ吸ったりね。もうムチャクチャです。ただ、あれはもう、明らかにそういうキャラクターとして描いています。そして、そういう人だからこそ、脇目も振らずに何かを為すことができる…と。
(二郎は、菜穂子が出て行ったあとの試験飛行の場面だけ、美しいもの=飛行機から目を離すんですよね)

 見ようによっちゃ酷い人ですが…でも、菜穂子も菜穂子でじつは結構自分勝手に動いているんですよね。そういうお互いの自分勝手さの狭間に育まれる愛というかね…ある種『ゴーンガール』的な…まあそれは良いか。
(余談ですが、あの最後のセリフは実は「生きて」じゃなく、「来て」だったという話がありますが、その方がボクは納得できます)

 物語上の主題としては、そこに飛行機というものが絡んできます。使いようによっては兵器にもなる道具…でも、「美しいものがあった方が良いか」と聞かれて、二郎は「あった方が良い」と答えるわけですよね。

 これはかなり明確な言葉です。美しいものはそれ自体良いものなんだと。戦争反対でありながら戦闘機とか戦車が大好きな宮崎さんが、最後に出した結論がこうだった…ということなんでしょう。

 これがさらにアニメ制作という自身の仕事についても言及している…というのはよく指摘されることです。宮崎さんは、自分でアニメ作っておきながら「アニメなんて見ていないで外に出て遊べ」って言ってた人ですからね(笑)

追記
 以前の記事でボクが「逃げだ」と不満を述べているのは、その結論は分かるけれども、だったらちゃんと戦争自体にも向き合わなきゃいけないんじゃないの…ということなんですよね。それを描き切った上でその結論を出さないと、ただの自己満足になってしまう。

 ただ…これ自体がそうした自己中的な価値観を謳い上げている映画なので、その観点からすると、これも「それで良いんだよ」ということになるんでしょうけれどね。他の人のことなんか気にするなと。

2.
 まあ、そういう「物語的な読み」は、でもどうでも良いんです。

 ボクが宮崎さんがすごいと思うのは、そうしたすべてを「風」の演出で表しているからです。

 映画冒頭の霧…雲、蒸気機関車の蒸気、煙突の煙、自動車の排気ガス、薬缶から立ち昇る水蒸気、そして寒空の吐息。炎の中に舞い上がる新聞、車が止まった時の砂埃、舞い散る葉、深々と降る雪、雨、花びら…そして、帽子と紙飛行機。波立つ水面、震える木の葉、軋む窓、靡く傘、揺れる髪、遠くから聞こえる蓄音機の音。そして、煙草の煙。すべてが風の演出に関わっています。
前記事のコピペ(笑)

 風というのは、それ自体が色を持たないものです。帆船を走らせるのも風ですし、飛行機を飛ばせるのも風です。結婚式の日の雪を舞わせるのも風ですし、飛行場の草を揺らすのも風です。

 でも、たとえば関東大震災の場面で吹いている風は…あれは火災で起こった火災旋風です。あの風の中で、何万人もの人が死んだんです(とくに被服廠跡では約四万人もの人が亡くなりました)。だから、関東大震災が出てくるのは、たぶん意図的なんです。あれは「風」というものがもっとも凶暴な牙を向いた時ですからね…。

 あるいは、賛否を呼んだタバコも意図的でしょう。タバコの煙も風の演出に関わっています。タバコの煙というのは身体に悪いものですが…でもそんなの関係ねえと(どっかで聞いた言葉だぞ)…それでも「風が吹いている限り、精一杯生きねばならぬ」と、この映画は言うわけです。

 生きている限りは脇目も振らず生きねばならぬ。ダラダラと長生きしたって仕方ねえだろうと。目の前の人生を精一杯生きろとね。

 風…というのは息吹でもあって、それはアニメではなおさらそうです。Animationはラテン語のAnima(魂)から、Animaはギリシャ語の Anemos(風/息吹)から来ている…というのはお決まりのセリフですが。アニメートするという行為そのものが、キャラクターに息吹=魂を与えるということなんですよね。

 宮崎さんのアニメでは常に風が重要な位置を占めてきました。最初のオリジナル映画が『風の谷のナウシカ』であって、最後のそれが『風立ちぬ』だったというのは、非常に象徴的です。おそらく、宮崎さんにとってアニメとは、キャラクターに息吹を与えること=風を吹かすことなんです。

 宮崎アニメの生命力ってのは、風から来ています…というより宮崎アニメにとって、風ってのは生命そのものだ…とさえ言っても良いのかも知れませんが。

 そして、この『風立ちぬ』においては、そうした風の芸術であるアニメによって、風そのものが表されて…さらにそのアニメ制作そのものが映画の主題である飛行機作りと類比されていて…そして、その飛行機はそうして表された風によって空を舞うものだということ…。

 たぶん、この3つは、宮崎さんの中で切り離せないものなんですよね。風を吹かすためにはアニメートしなければならない。それを作るためには膨大な人数を働かせなければならない。それは飛行機作りみたいなもんで、必ずしも正しいものだとは限らない。

 でも、美しいものは好きだし、美しいものを作りたい。他のことなんて考えているヒマなんてないよ…と。目の前の人生を精一杯生きろとね。で、生きるってことは、アニメにおいては風を吹かすこと=息吹を与えることで…。

 と、まあ、こういう「解題」にあまり意味があるとも思えんのですが(^_^;)>

 それよりもなによりも、あの常に吹いている風それ自体が、なにか訴えかけてくるんですよ。風は吹いている、だから、懸命に生きねばならない。これ論理的には繋がっていないんですけれど…でも、あの画面を見ていると、なにか分かる気がするんですよね…。