星座の布置(アニメの話) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


劇場版 PSYCHO-PASS サイコパスを見ながら思ったこと…

 一応、アニメ研究というものをしている関係上、英語圏のアニメ論文に目を通す機会もある。アニメ論だったら日本で良いんじゃないか…って思うところだけれど、やっぱりそこには別の視点がある。なにより興味深いのは(日本の場合はストーリー分析が主流だけれど)英語圏では表現論が多くみられること。それはボクの興味にも合致している。

 もちろん、日本文化という枠組みの中で捉える人も多くいて、そういう議論はやや強引に感じられることもある。それに時々、悲しくなる時もある。一方では凄く質の高いファンもいるのだけれど、その一方では、日本のアニメに求められているのは、基本的にエロとバイオレンス、そして東洋趣味だって分かってしまうことも多いから。
(だからチャンバラものなんかはやたら人気ある)

 それは日本のアニメが「大人向け」だって説明される背景でもある。(ディズニーやワーナーなどの)海外アニメは基本的に子供向けなのに対して、日本のアニメは大人向けであって、そこでニーズの隙間を埋めたんだと。

 『AKIRA』や『攻殻機動隊』が向こうで受けたのは、それらが単に質の高い作品だっただけだからじゃない。それらがそうした諸要素を完ぺきに兼ね備えていたからだ。もちろん、アニメはそれだけじゃないって反発するヤツもいて、そういうヤツが推すのが、もちろん「ジブリ」だ。
(ヒットという点では『ポケモン』とかも外せないんだけれど、分析の対象にはなっていないように思う。それはたぶん「子供向け」だから)

 そこが基準になっている。だから、大友と押井、そして宮崎だけが「世界的巨匠」でありえる。それって、ボクの皮膚感覚とはだいぶ違う。なにより、彼らの議論には、いつも出崎…日本のアニメというものを方向づけた出崎統がいないんだ。

(ボクの議論だと、山本暎一⇒出崎統というラインがアニメを語る上で重要になってくる)