ジャックと天空の巨人(4.5) | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
『ジャックと天空の巨人』
Jack the Giant Slayer
 
2013年アメリカ、114分
 
監督:ブライアン・シンガー
 
主演:ニコラス・ホルト
 
製作:ニュー・ライン・シネマ/レジェンダリー・ピクチャーズ/オリジナル・フィルム/ビッグ・キッド・ピクチャーズ/バッド・ハット・ハリー
 
概要
 1700年代初頭の民話「ジャック・ザ・ジャイアント・キラー」と童話「ジャックと豆の木」を基に、人間と巨人のバトルを圧倒的映像で描くアドベンチャー大作。人間界と巨人界を隔てる開かずの扉が開けられたことから、巨人たちの人間への逆襲が繰り広げられる。メガホンを取るのは、『X-MEN』シリーズや『スーパーマン リターンズ』のブライアン・シンガー。主人公のジャックを『シングルマン』のニコラス・ホルトが演じ、スタンリー・トゥッチやユアン・マクレガーなど実力派のキャストが脇を固める。巨大な豆の木の映像や100人の巨人対300人の人間の壮絶な死闘は見ものだ。(Yahoo!映画より)
 
感想
 莫大な製作費をかけたわりに、どうやら大コケしたらしいこの作品。基本は「ジャックと豆の木」+巨人物で、CGをフルに生かしたファンタジックな世界は『ロード・オブ・ザ・リング(LotR)』や『ナルニア国物語』を彷彿とさせる。でも、ボクが連想したのはむしろ『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』(笑)
 
 大長編の「ドラえもん」がそうであるように、古今東西の物語データベースを集積して作ったような作品で、そういう意味ではむしろ正統派のディズニー作品に近い。それが何故コケたのだろうか。ボクなりに考えて見た。
 
 まず、単純に攻城戦の描写が手薄。『LotR』や『ナルニア』でも攻城戦がひとつの見せ場、一大スペクタクルになっている。予告なんかでも、あの場面だけで惹きつけられてしまうんだよね。それに対して、この映画の攻城戦はエラく「地味」。たぶん、城全体を映すような引きの画なんかひとつもなかったんじゃないかな…
 
 それと、ヒロインのエレノア・トムリンソンもちと「地味」(悪い女優さんだとは思わないけれど)。いくらお金をかけても、こういうところが地味だと、やっぱりお客さんは呼べないなと思う。
 
 あとは何よりも、巨人の世界が汚い。これを言っちゃあ身も蓋もないんだけどね。これがすっごくポエジーを損なっている。汚いということ自体は、必ずしもポエジーを損なうものではないんだけれど、下品なのはやっぱりポエジーを損なってしまうんだ。
 
 『LotR』とか『ナルニア』は、そういう意味では綺麗だもんね。『LotR』は割りと「汚い」場面もあるんだけど、そこは抑制が効いているし、何よりエルフの国の圧倒的な綺麗さによって、両者が引き立つように描かれている(「綺麗」も「汚い」も結局は「美」の一部なんだということがそれで分かる。それは汚い一辺倒の画面にはできないことだ)。
 
 そのエルフの国の例で分かるのは、2つめのこと。それは世界観が広がっていかないということ。たとえば、『LotR』はその背後に膨大かつ緻密な世界が用意されていることが分かる。あんなのはひとりで神話を作っちゃったようなもんで、トールキンのような選ばれた人にしか出来ないんだろうけれどね。
 
 それに比べちゃうと、『ジャック』はその背後に広大な世界が広がっているようには思えない。なんか一つのお城で話が完結しちゃってる感じ。「諸国に知らせろ」って場面はあるんだけどね。言ってるだけ。
 
 広大さの他に、緻密さも足りない。たとえば、物語の鍵を握る2つのアイテム。「魔法の豆」と、「巨人を服従させる王冠」。
 
 あの豆はそもそもどうやって作ったのか。劇中では「魔法」だって言われてるんだけど、じつは、あの映画には「魔法」が一回も出て来ない。巨人と戦う方法もすべて物理的方法。魔法が存在していた痕跡もない。じゃあ、その豆を作った魔法はどこから来たんだって、全然分からない。たとえば「アーサー王物語」のように、ある程度、魔法が存在する世界にしちゃっても良かったんじゃないかって気がする。まあ、巨人と人間が戦うって描写にしたかったのは分かるんだけどね(その辺りは『進撃の巨人』を連想させる)。
 
 それから巨人を服従させる王冠。これが一番、納得がいかない。たとえば『LotR』の「力の指輪」は、冥王サウロンがエルフの技術を盗んで作った指輪だから、力があるのは分かる。それにしたって、それを持っただけで全てを服従させてしまうような強い指輪ではないけれどね(だからこそ、フロドは苦労してあれを破壊しに行かなければならなかった)。
 
 一方、『ジャック』に出て来る王冠は、誰でも持っているだけで全ての巨人を服従させてしまうというシロモノ。しかも副作用なし(ワーオ!)。それがどうやって作られたかと言うと、そこらの巨人の心臓から(これまた魔法で)作りました(こういう時だけ「魔法」で説明するんだよね)。う~む、それでどうしてすべての巨人が従ってしまうんだか分からん…劇中の説明によると「己を否定することになるからだ」とか何とか。うむ、分からん。あまりにも都合の良いアイテム過ぎて、少々シラケてしまう。しかも先が読めちゃうし。
 
 それに、お約束に従っているようでいて、そうでもないんだよね。たとえばさ…
 
(以下、ネタバレするため、背景色で書いています。範囲選択で反転します)
 たとえばさ…ジャックが「騎士になる」ってシーン。騎士ってのは主従関係を結ぶ人が任命するものだから、騎士団長辺りがいくら言っても何の意味もないんだよね。だから、姫を助けたあとで、王が剣の平でジャックの肩を叩いて騎士に叙任するって場面があっても良かったんだ。それが中世の「立身出世物」のお約束だよね。
 
 それに、野心家の大臣が騎士団長より武技に優れてるってのは何なの…あれでエルモントの評価ダダ下がりでしょ。せっかくユアン・マクレガー使ったんだから、王国の誰よりも武技に優れているくらいの描写でも良かった。ああいうキャラクターが(時には主人公より)引き立つかどうかで、その世界の深さが決まる。それもお約束だよね。
 
 それから、これはむしろ「お約束」を守っている例だけど、少々、思想が古い。あの「お姫さまが平民と結ばれる」って形式の描写はいい加減なんとかならんもんかね。アメリカ人好みの描写だってのは分かるんだけどね。あの時代、そりゃあ自由奔放なお姫さまも居ただろうけれど、もちろん保守的なお姫さまも居た訳で、見る映画、見る映画、みんな「自由奔放なお姫様」だってのは、なんか現代的思想をムリヤリ押し付けられているみたいで気持ち悪いのさ。
 
 しかも、最終的に「平民と王族が結婚するのを許可しました」みたいな、偽りの平等主義で幕を閉じるのも好きじゃない。あれって2重の意味で偽善だよね。第1には、そこで王女さまが出て来るのは、そういう「貴族的なもの」に対する憧憬から来ているわけだし、第2には、それを平民がオトすことで、(貴族的なものに対する)庶民の征服欲を満足させるから。嫌いなんだよね、そういうの。
(ネタバレおわり)
 
 ただ…映画として見た場合、これはバカ面白い!←散々けなしといて(笑)
 
 もうね、「手に汗握る」ってのはこのことかって感じ。演出のリズムも良いし、構造がシンプルだから、話にも入りこみ易い。CGにも破綻はないし、巨人と人間の描き分けもはっきりしていて分かり易い。「ボス」の造形もカッコ良いしね。エピローグもなかなか痺れる描き方だった。単純にアクション映画と思って見るのが吉かな。
 
☆☆☆☆★(4.5)
 

 
映画『ジャックと天空の巨人』予告編