「ナチズムとナチスの手法」
麻生財務相が「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口、学んだらどうか」と述べたことが批判を呼んでいます。ボクもこれは失言だと思いました。撤回したのも当然だと思います。
だけど、どうも見当違いの批判があるようです。たとえば、「ナチス賛美は欧州連合(EU)諸国で『犯罪』であるという事実に留意すべきだ」という野党幹事長の談話が発表されていました。
麻生さんは、ナチス賛美などしていませんよ。「ナチスがやったことを真似しろ」と言ったんです。もちろん、その時点でアウトなんですが。
気を付けなくてはいけないのは、「ナチスがやったこと」(手法)と「ナチズム」(思想)はイコールではないということです。普通の国家がやること(徴税とか選挙)をナチスもやっていたわけですし、また逆に、ナチスがやったことで、現代社会に取り入れられているものもあります。
たとえば、世界初の高速道路網アウトバーンはナチス政権下で生まれたものでした。あるいは、ラジオや映画を使ったプロパガンダもナチスが行っていたことです。今では他ならぬユダヤ人がその手法を積極的に活用しています(ボクは別にそれは構わないと思っています。彼らにはその資格がある)。
もちろん、「ナチスがやったこと」で批判すべきものは山ほどあります。それはいくらでもある。ホントにね。それは断じて許すべきではない。
でも、全面的に否定されるべき「ナチズム」とは違い、「ナチスがやったこと」ってのは、先述したように、たとえば高速道路網を整備したり、マスメディアを利用するといった現代国家が普通に行うことも含まれるのです。それは、「ナチスがやったこと」だとしても、基本的に「ナチズム」とは関係のないものです。
つまり、「ナチスがやったこと」の中には、「ナチズム」に従ってやったものと、そうでないものがあるわけです。もちろん、「ナチズム」は全面的に否定されるべきものです。でも、だからと言って、それを「ナチスがやったこと」と=で結んでしまうと、奇妙なことになります。
なにより、このやり方(「ナチズム」と「ナチスがやったこと」をイコールで結び付けるやり方)は危険なのです。反転して考えて見れば分かります。たとえば、「アウトバーンは良いものだ。だから、アウトバーンを作ったナチスも良い党だ」ってことになってしまう。そんな訳はないでしょう? 「ナチスがやったこと」と「ナチズム」は切り離して考えなければならんのです。
たとえば、伝説的な黒人ジャズピアニスト、デューク・エリントンは「The Race for Space」[1957]において、人種的偏見がアメリカがソ連に宇宙開発で先を越された理由だと述べました。一見、正論のように思えます。でも、人種差別はそれ自体で否定されるべきものです。このように技術論と結び付けると奇妙なことになる。
なぜなら、ソ連のロケット技術もアメリカのロケット技術も、もとはナチス・ドイツから持ってきたものだからです。これは有名な話ですけどね*1。第二次世界大戦当時、世界最悪の人種差別国家だったナチス・ドイツが、世界最高のロケット技術を持っていたのです。だったら、人種差別は肯定すべきなのか? そんな筈はないでしょう。その両者は切り離して考えなければいかんのです。
*1.(ソ連が宇宙開発競争で先行した実際の理由は、ナチスのペーネミュンデ研究所をV計画関連の資料/研究員と共に接収したため。一方、アメリカはヘッドハンティングのような形でロケット開発の父、フォン・ブラウンを手に入れました。)
果たして、麻生さんが真似すべきだと言った手法は、「ナチズム」でしょうか? 違います。あれは単なる古典的政治手段に過ぎません。例としてナチスを出したのはマズ過ぎるとは思いますが、麻生さんがナチズムを賛美(ナチスを賛美)したとは、ボクには思えません。明らかに失言であるとは思いますがね。