(アップし忘れていたけれど、ホントは、こっちの方が「夏曲PV考:その4」よりも先にくる予定だった)
「AKB正機論」
デュシャンが美術展に置いたトイレが芸術になった意味を理解しているか?アヴァンギャルドこそが真の芸術であるということの意味を理解しているか?芸術という制度をぶっ壊すものこそが芸術であるということの意味を。
音楽という制度に乗っかり、そこからAKBを攻撃するような連中がやっていることが、果たしてアヴァンギャルドと云えるだろうか。真にアヴァンギャルドなのはどちらか。彼らか、我らか。
タブローの奥に押し込められていた聖なる芸術は、やがて現実世界に浮上していった。絵画は表面に移り、そして現実の介入を受け容れ、インスタレーションになった。いまや、芸術はアトラクションと等しい。アトラクションが芸術でないと、誰が言えるか。
AKBはアヴァンギャルドではなく、その代用品であるキッチュだと捉えられるかも知れない。ハイコンテクストな芸術を理解するだけの教養をもたない人びとが享受するためのものとしての即物的な芸術キッチュだと。
だけど、AKBにはコンテクストはないだろうか。いや、今のAKBは文脈を知らないと理解できないものの方が遥かに多い。むしろ、ヲタが支えている芸術はハイコンテクストなのではないか。彼らは彼らにしか通用しないコードで会話をする。現代においては、芸術を支えるエスタブリッシュメントはヲタになっている。
かつてのアヴァンギャルドはもはや古典となり、真のアヴァンギャルドたりえなくなっている。それらは、もはや社会との接点を喪失した。現代において、真のアヴァンギャルドはヲタが支える諸々のものだ。それらは、直接に社会に言及する。東浩紀や宮台真司がアニメを語り、宇野常寛や濱野智史がAKBを語る。その真の意味を、キミは理解しているか?
「夏曲PV考(その4:世界で一番 孤独なLover)」につづく…