
伊藤計劃
『ハーモニー』
(2008)
概要
ベストセラー『虐殺器官』の著者による“最後”のオリジナル作品。21世紀後半、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は見せかけの優しさと倫理が支配する“ユートピア”を築いていた。そんな社会に抵抗するため、3人の少女は餓死することを選択した……。 それから13年後。死ねなかった少女・霧慧トァンは、医療社会に襲いかかった未曾有の危機に、ただひとり死んだはずだった友人の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。日本SF大賞受賞作。(Amazonより)
感想
いつからボクは、SFを未来ではなく、過去(それが書かれた当時)を現わすものだと考えるようになったのだろう。
情報化される身体。あるいは、情報が浸透していく身体。普通は、「情報化」と云えば物質から情報が切り離されることを考える。それが物質に逆流するという観点を切り取る辺り、この著者は良いカンをしていると思う。だけど、良いカンをしている割りに、ここで描かれているモデルは、むしろ大時代的だ。
彼が理解している筈のものは、彼の描いた世界には浸透していない。この世界で語られることは、世界像そのものに浸透していない。古典的世界の中で、ただ語られるだけのものとしてのセカイ。そう、まさに、ここでこうして語られるように。言葉が世界の上を滑っていく。
権力が細切れになった筈の世界で、一方では規範として機能するWatch Me。いかに道具立ては新しくとも、それは、フィリップ・K・ディックの描いた全体主義的ディストピアの想像力から一歩も外に出るものではない。
善に覆い尽くされる世界。健康という名の病。潔癖に潜む脆弱性。言いたいことは分かる。イヤになるほど繰り返されてきたテーゼ。それは、もはや古典だとさえ言える。この作品に妙味があるとすれば、それは「向こう側」に踏み込んでしまうエンディングにあるだろう。だけど、それだって…まあ、良いか。
弱冠34才で早世した著者は、来たるべき時代の旗手というよりは、むしろ、滅びゆく時代の最後の世代に位置づけられるべきだったのかも知れない。どこかゲーム的な展開で進む、一人称の世界描写。死を扱っているようでいて、単なる記号でしかない「他者の死」。なぜ、こんなに圧倒的な評価を受けているのだろう。こんなものでは、ボクは打ちのめされはしない。憂いた気分がボクヲ覆う。
山本弘の『去年はいい年になるだろう』といい、本作といい、いつから日本のSF界は、「問題意識」を持った作品こそが賞に相応しいと考えるようになったのだろう。ポップの時代では、すべてが政治に回収されてしまう。
だれかが、SFを「思想」にしちまった。
※だれか、STEINS;GATEにでもSF大賞をくれてやってくれ。