Clement Greenberg
“Towards a Newer Laocoon”
(1940)
「さらに新たなるラオコオンに向かって」
Ⅴ
・純粋という観念に導かれたアヴァンギャルド
→この50年(1890-1940)、純粋性と過激な境界決定を達成した
=現在の芸術:それぞれの「法的」国境の中では安全/自給自足経済
・芸術の純粋性:特定の芸術における媒体の限界を進んで受け入れること
・純粋性の普遍的/自然的/客観的な例
→オリエント芸術、原始芸術、児童の芸術
・純粋と抽象がもっとも大きな抵抗に出会った場所=造形芸術
・ある芸術の独自性の回復=その媒体の不透明性が強調されねばならない
・視覚芸術(絵画/彫刻)にとっての媒体=身体的
→観客を身体的に感動させることが求められる
⇔詩の媒体:心理学的、没論理的/超論理的
(詩は読者の知性だけでなく、総合的な意識に狙いを定める)
・詩
1.呪文、催眠、麻薬、心理的因子(ポー)
2.空想、想像( コウルリッジ、バーク)
3.詩の不変の実践( マラルメ)
・音:詩の媒体そのものではない(大抵の詩は現在朗読されず読まれている)
→単語の音は、意味を乗せる器ではなく、意味の一部
・語を論理から自由に:主題から詩を解放する
→詩の媒体は切り離され、語の支配下におかれる(語:連想を引き起こし、暗示する)
・詩の存続
→音、歴史、意味の可能性から構成される、特徴としての語と語の関係の中にある
(×意味としての語と語の関係の中ではない)
・詩的散文の実験
⇔しかし、音楽の場合と同様に形式上の構造は不可欠
(この構造は詩の媒体と切り離すことができない)
・詩は依然として意味の可能性を提供している
→仮にそれらが余りにも正確に実現されたら、詩の有効性は大部分失われる
(有効性:意味の縁からこぼれ落ちず、無限の可能性によって意識を煽ること)
・詩人が書く理由(表現するというよりは)
→読者の意識に作用して、詩の情緒を生み出す事物を創造するため
・詩の内容
→詩が読者に対して、生み出すもの(×伝達するものではない)
=読者の感動は、類まれな物として詩から派生する
(×詩の外部の言及されたものからではない)
→理想的な詩:純粋詩(不可能な理想)
・造形芸術の場合:媒体を切り離すことはもっと易しい
→アヴァンギャルド絵画/彫刻は、その詩よりも急進的な純粋性を達成した
(より完全に機能だけのものになる=外観と機能の一致)
=ただ感じるものだけがある(対象がない)
・求めるもの
1.純粋詩:無限の暗示
2.純粋な造形芸術:最小限度
・詩「詩の感動を生み出す機械」(ヴァレリー)
・造形芸術「造形的光景の感動を生み出す機械」
(純粋に造形的/抽象的に質の高い芸術作品のみが価値がある)
・アヴァンギャルド絵画の歴史
=媒体の抵抗に対する漸進的な屈服の歴史
(抵抗:写実的な透視画法の空間のために「穴を穿つ」のを拒むこと)
→その屈服によって、絵画は模倣、文学から脱した
1.「芸術は技巧を隠す」(ルネサンスの標語)⇒「芸術は技巧を顕わす」
2.「色合いや色調」⇒「本能的で気楽な原色」
3. 「線」(自然界に存在しないもの)が第三の色彩として帰ってくる
4.(四角いキャンパスの影響を受けて)形体は幾何学的になる
5.画面が平らになって、虚構の奥行を押し潰すまで浅くなる
→ついには、実際のキャンバス表面の現実の物質面上で一体化する
・リアリズム絵画の空間破壊/対象破壊
→戯画化(キュビズムの本領)によって成し遂げられた
(色彩の排除:量感と奥行を達成する方法を破壊するためのパロディー化)
・多数の微妙に後退する平面:3次元絵画空間の生と死
(無限に奥へと移行し消えゆく⇔キャンバスの表面に戻る)
・彫刻:純粋「建築」の入り口で迷う
・絵画:虚構の奥行から押し出され、キャンバスの表面を通り抜け裏側に
・現代絵画の発展に重要な貢献をした多くの画家
→より強い表現性に到達
(現実模倣の写実との断絶を強めたいという欲求によって)
⇔しかし、発展の論理が余りにも過酷なため
→表現要素のさらなる不毛となった
(どんな画家であれ、全ての道は同じ所に通じていた)
Ⅵ
・(本論における)抽象芸術の優位性の説明
→その歴史的正当性のみ(抽象芸術の歴史的弁明)
・抽象芸術に由来する趣味の基準
それが永遠に有効で唯一の基準であるとは主張しない
(目下のところ最も有効な基準ではあるが)
・将来的な基準はより包括的なものになるだろう
・現在でも必ずしも排除しているわけではない
=筆者がレンブラントを享受できるのは、その表現の質のため
(要約:flowinvain)
参考
「さらに新たなるラオコオンに向かって」『グリーンバーグ批評選集』勁草書房、2005年