すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(日本国憲法第14条)
『エピソード2:アイドル教の逆襲』
世の中には、したり顔で「アイドルだって、普通の女の子だ」と論じる輩がいる。でも、それって「イエス・キリスト(あるいは聖母マリア)だって人間だ」と言っていることと、ほとんど何ら違いはない。それで何かを言い得たことになるのだろうか。実際のところ、それは真実の半分でしかない。そのもう半分は、「そうではない」と信じる人がいるということ。それこそまさに宗教であり、そして、社会にとっては、時に、そちらの半分の側面の方がより重要な意味を持っていたりする。
ボクは、自分が何か特定の宗教や団体に依存しているとは思っていなかったし、それは自分が強いからなんだと思っていた。でも、違った。ボクは「アイドル教」の信者だったんだ。だからこそ、オウムが、なぜあのように暴走したのか、本気で知りたくなったんだ。それは、やっぱり、一歩間違えれば、ボク自身の問題なんだ。
実際、「アイドル教」は時に、性的搾取に近いような批判を受けることがある。でも、ボクに言わせれば、「アイドル教」は、それ自体の教義の内に、アイドルの神聖性(はっきりVirginityと言ってしまっても良いけれど)というものを抱えている。だから、本来的に、性的搾取は「アイドル教」の教義とは相容れないものだし、むしろそれは、「異端」として、「アイドル教」の教義それ自体によって、明確に否定されるべきものだ(この原理から同様にストーカーなども否定される)。
その教義そのものによって、犯罪に関わりでもしない限り、誰も、何らかの信仰を持っているということで差別をされてはならない。そして、ボク自身を振り返ってみれば、今の信仰対象は、山田菜々ちゃんだ。ここでいつもだったらボクは、「気持ち悪いかも知れないけれど」という留保をいれる。でも、自分が宗教に属しているという自覚を持ってみて、初めて、そんな弁明をする必要はないと気付いた。誰かが何かを信じるということで差別されるなんて、本来、あってはいけないことだ。
宗教アレルギーを持つボクらは、自らを「オタク」だの「ダメ」だの言って自嘲しつつ、(その実)社会から自ら差別化を図ってきた。でも、そんなことをする必要は微塵もなかったんだ。ラベルが変わっただけで、ボクら自身がやっていることは明らかに宗教であり、それは、社会的圧力から保護されるべきだ。
宗教というものはいつも、社会的弱者のために存在してきた。寄る辺のない人々が救いを求めてきたのが宗教だった。決して、誰かが何かを信じているということで差別されてはならない。誰もボクを、アイドルを信奉しているということをもって、差別してはならない。誰もボクに対して、「アイドル教」の一員たるをもって、差別的言動を弄してはならない。
(まあ実際は、これまでボクに対してそんな言動を弄するような人は居なかったけれど)
アイドル教教義(暫定)
1.アイドルとは神聖な存在である。
(これを信じることがアイドル教に入信するための唯一の条件である)
2.アイドル教は多神教である。
(誰も他の人が信仰しているアイドルを否定してはならない)
3.アイドルは契約によって成立する。
(望みもしない人を勝手にアイドルに仕立てあげてはならない)