それは、余りにも許せない記事でした。この何年か感じたことのないような怒りを、ボクはその記事から感じました。以下がそれに対するボクの(twitter上の)反応です。
AKB48 恋愛禁止の掟って、それこそ人権侵害ではないか。(伊藤 和子) …あほう。宝塚にも「未婚」って規則があるし、そんなもん(恋愛以外でも)社会にいくらでも転がってるだろ。こういう知性の欠片もないようなバカがいるから話がややこしくなる→http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20130202-00023308/
↑のつづき。こういうバカの話を聞くと、ボクはうんざりする。この国には2つの人種が居るんじゃないかとさえ思う。同じ言語で思考しているとは思えないし、一生涯かけても打ち解けられるとは思えない。むしろ、こういう連中と関わらなくて済むのなら、それに一生涯をかけても良い。
↑さらにつづき。こういう何の理解もしてないバカが大騒ぎして、色んなことをダメにしていく。有名になればなるほど、その危険は大きくなる。恋愛禁止が廃止され、それでAKBは終焉を迎える。人権侵害を指摘された本人すら望まない方向に話は進む。そして、バカどもは全てを忘れて、また獲物を探す。
twitter引用終わり
『偶像のかなた 3(改訂)』
峯岸みなみ
(AKB48/研究生/総選挙14位)
「Mary&Mary」
ボクは、たとえばホーリークロス紛争や、カトマンズの不法居住者や、南アフリカの難民たちの記事を書いていて、ヒューマン・ライツ・ウォッチを初めとする人権団体の素晴らしさを知った。そうした、人間としての最低限の保証すら受けられない人たちに対する、彼らの眼差しは得難いものだ。飢餓や貧困、人種差別、ボクらが目を向けなければならない問題は、たしかに沢山ある。
でもね…
自分で好きでオーディションを受けて、誰に強制されるわけでもなく7年もやってきて、恋愛禁止ってルールを承知した上で、自分でも「恋愛しない」って公言してきて、そして、それを自分の意志で破ってしまって、それで、でもやっぱりグループを辞めたくないから、自分の意志で坊主にして謝って…って、そんなのが「人権侵害」なのか?(じゃあ、坊さん/尼さんはみんな人権侵害なのか)
別にいつでも辞めることだって出来たじゃない。彼女は、自分の意志でAKBであることを選択してきたんでしょ。AKBを育ててきたのは、彼女自身でもあるわけだけれど、彼女自身、AKBであることで恩恵を受けてきたわけでしょ。今回だってそうじゃない。自分の意志で、「やっぱり、もう一度チャンスを下さい」と言ったわけでしょ。
彼女が、「人権侵害だ」と訴えでもしたのか。誰もそんなこと言ってやしないじゃない。それを、勝手に「人権侵害」だって「認定」して、それで糾弾するのならば、それは、もはや、あなたの勝手な「価値観の押し付け」だ。「人権という名の暴力」だと言ってもいい。
たとえば、キリスト教だって修道士/修道女は独身を保つ。(ボク自身はアイドルってのは宗教だと思ってるけれど)「宗教とは話が違う」って異論があるかも知れない。でも、たとえば上にも書いたように、宝塚には未婚規定が明確に存在する。それは、もはや個人の選択の問題だし、価値観の問題。それでAKBだけを攻撃するのは、それが単に「もっとも目について、もっとも手頃で、もっとも叩きやすいだけ」だからでしょ。そんなんで社会的不正義がどうとか笑わせる。
大体、「人権、人権」って言うヤツ(の一部)は、「人権」ってのが、あたかも何処かに明確に存在するかのように振る舞う。でも、ホントはそうじゃない。それは社会のコンセンサスによって成り立っている。侵害されているとされる個人の(しかも成人の)意思に反して、しかも生命の危機とかそういうレベルの話ではないところで、「人権侵害」のレッテルを貼るのは、完全に「人権」ってものの過剰適用。
「過剰な正義」は毒となる。この21世紀の時代に生きていて、そんなことも学んでないのかあなたは。これまでに人類は、「正義」という名の下に、どれだけのことをしてきた。あなたがやっていることは、それを「人権」という(現代風の)名前に変えただけだ。これは非常に微妙な言い方になるけれど、ぼくは、20世紀前半のわが国で、あなたと同じ顔をした人が、「非国民」というレッテルを貼りまくっているのを見たとしても、ちっとも驚かない。
いずれにせよ、ボクには「敵」が誰なのかハッキリした。そして覚悟もついた。たしかに、今では、ボクの推しは山田菜々ちゃんだ。それはもう変わらない。でも、ボクは「みぃ」を応援する。AKBでやっていく「みぃ」を応援する。今でも、ただひとつだけ、ボクらには共有できるものがあると思う。それは、ボクらがAKBを愛しているということ。ボクらは、その一点において仲間で、それでこれまで(ホントに僅かかも知れないけれど、そして時にはそれが重荷にさえなったかも知れないけれど)共に支え合って生きてきたんだ。それは、誰に恥じることもない。