Clement Greenberg
“Towards a Newer Laocoon”
(1940)
「さらに新たなるラオコオンに向かって」
序
・抽象/非具象絵画の純粋主義者の態度は独断/非妥協的
→純粋主義=芸術の運命についての懸念、その独自性に対する不安
・純粋主義者:造形芸術から「文学」や主題を排除すると主張
・抽象芸術もまたその時代の社会や環境を反映していると指摘するのは容易い
⇔しかし、最良の造形芸術が抽象であるという主張を退けるのは難しい
・芸術の混乱は昔も今もこれからもあるだろう
→純粋主義は、混乱による絵画/彫刻の過去の誤りに対する健康な反応
Ⅰ
・支配的な芸術形式
・17世紀ヨーロッパ=「文学」
(最も偉大な作品を得ていたのは音楽)
⇔絵画は宮廷の手に落ち、つまらぬ室内装飾に堕していた
・当時のもっとも創造的な社会階級は商業ブルジョワジー
→活版印刷の発明後、安さや移動性に促され、文学の創作に傾倒
・支配的な芸術:全ての芸術の原型となる
⇔他の芸術は、本来の性格を脱ぎ捨て、その効果を模倣しようとする
(支配的な芸術は、他の芸術の機能を吸収しようとする)
・従属的な芸術:自らの性質を否定する
→このように道を誤るのは、媒体を隠すふりができるほどの技量に達した時のみ
(イリュージョンのため、外見上は材料を抹殺してしまうほど。例:17、18世紀絵画)
⇔音楽は技術が比較的未発達であったため、その運命を免れた
・絵画と彫刻:優れてイリュージョンを表わす芸術
→他の芸術の効果をも模倣したいという誘惑に駆られるほど技量を上げていた
(お互いの模倣だけでなく、文学の効果を再現しようと試みることもできた)
・絵画/彫刻がより劣った才能の手中にある場合
→主眼点は媒体から離れて、もっぱら主題に移る
(主眼となる問題:詩的効果などのために主題を解釈する能力)
・中国:絵画と彫刻が支配的な芸術(詩が絵画と彫刻に従属)
→詩は、絵画の一要素となること/視覚的な細部を強調することに自らを限定
・中国人は、詩を書く筆跡に視覚的な喜びすら求める
→しかし、こうした中国後代の詩は、絵画や装飾芸術と比較すると、かなり浅薄で単調
・レッシング『ラオコオン』
=理論/実践における、芸術の混乱を認識
→しかし、文学の観点からのみ、その悪影響を見ている
・造形芸術についての見解は、彼の時代における典型的な誤解を示している
→トムソンの叙景的な詩文を、風景画の領域を侵すものとして攻撃
(詩が絵画の領域を侵している例)
⇔絵画が詩の領域を侵している例(せいぜい↓の二つ)
1.説明を要する寓意画
2.「同一の絵の中に二つの必然的に離れた時点」を組み入れた絵
(例:ティツィアーノ≪放蕩息子≫)
Ⅱ
・ロマン主義:当初、絵画に希望を与えるものに見えた
⇔しかし、それが去る時までに、芸術の混乱はいっそう悪化した
・ロマン主義の芸術理論
=芸術家が感じた「感情」を観衆に伝える(それを促した状況とか事物ではない)
→感情の無媒介性を維持するため、媒体の役割を抑えることが重要
・媒体は物理的な障碍であり、理想的な状態では消え去る筈
(理想的状態:観客や読者の経験と芸術家の経験の同一化)
・芸術をメチエ、手仕事、修練と見る感覚はすっかり無くなっていた
例:シェリー『詩の擁護』
→詩の媒体:媒体がない状態にもっとも近い=他の芸術より優れる
・この議論の帰結→媒体の問題を回避し、別の芸術の効果へ避難
(例:ロマン主義の影響に苦しんだ絵画)
⇔当初は、そのようには見えなかった
勝利者:中産階級の市民たち(すべての芸術を私物化)
→創造的エネルギーの新しい潮流があらゆる分野に流出
・もし絵画におけるロマン主義革命が、主題の革命であったら…
→絵画の方法にもっと大きな奔放さをもたらしたであろう
・新しい内容に新しい形式を見つけ出した画家たち
→ドラクロワ、ジェリコー、アングル…
⇔しかし、絵画における文学の重荷は、後続者には耐え難いものに
(18世紀後半には、文学的/感傷的な絵画の最悪の徴候が現れ始める)
・アングル・ドラクロワ派など:19世紀の公式絵画
・アカデミシズムの出現
→コローやテオドール・ルソー、ドーミエなどを輩出した
⇔しかし、アカデミシズムは絵画の水準をかつてなく低下させた
・最低水準の画家たち
例:ヴェルネイ、ジェローム、レイトン、モロー、ラファエロ前派など
(真の才能を持つものがいたため、その影響はいっそう有害になった)
・損害を与えたもの(写実的な模倣よりもむしろ)
=感傷的、美辞麗句の文学に奉仕した写実的イリュージョン
・おそらく両者は相携えている
(例:西洋またはギリシャ・ローマ芸術)
・西洋絵画:リアリズムに向かう傾向を持っている
(合理主義と科学的精神の都市文化の産物であるため)
→媒体を押さえつけ無力にして、隠喩を達成しようとする
(対象の風情より、その実用的な意味を利用する方に関心がある)
Ⅲ
・ロマン主義:ブルジョワ社会から生まれた最後の偉大な傾向
(強い責任感を持った芸術家にインスピレーションを与えることができた)
→1848年までに燃え尽きた
・アヴァンギャルド
1.役割
→ブルジョワ社会に反対しつつ、その同じ社会の表現として適切な文化形態を見出す
(ロマン主義から生まれ、同時にそれを否定する)
2.芸術の自己保存の権化
→芸術のみに関心を抱き、責任を感じる
3.最重要事項:思想からの逃亡
(思想=主題一般は社会のイデオロギー闘争で芸術を汚染していた)
(主題:芸術家が実際に制作している時に考えている/いないもの⇔内容)
4.芸術が
「独立した職業・修練・手仕事」
「完全に自律的で、それだけで尊敬され」
「単なるコミュニケーションの器ではない」
という主張を含んでいた
→文学の支配に対する反逆
(文学は最も抑圧的な形の主題であった)
・アヴァンギャルド:幾つかの変形を追求している
・1860年代ごろの絵画
ピクトリアルなものからピクチャレスクなものに
(すべては、逸話とかメッセージによって決まる)
→それは、見るというよりは空想するもの
=媒体の否定の一因
・このような事態は、一挙に打破することは出来なかった
・19世紀の絵画が初めて文学と袂を分かったのは…
→クールベによって絵画が精神から物質の中へと逃れた時
・クールベ
1.最初の真のアヴァンギャルドの画家
→機械的に描くことによって、絵画を「無媒介の感覚データ」に還元しようとした
2.主題として散文的な同時代の生活を取り上げた
(形式張ったブルジョワ芸術を裏返すことによって、それを粉砕しようとした)
3.新たな平面性/キャンバスの隅々まで等しく注がれた注意
・アバンギャルドが自らを自然主義と称するのを嫌う理由
→自然主義:客観性を達成できず、「思想」に屈服した
・印象主義
1.常識的な経験を棄てた
(物質主義的な探求においてクールベを乗り越えた)
2.科学的態度を持てば視覚経験/絵画の本質に到達できると考えた
→個々の芸術の本質的な要素を決定することが重要
3.印象主義絵画:色彩の感触の習得>自然の再現
・マネ
1.主題を自分の絵の中に入れて、それに攻撃を加えた
2.主題に対する横柄な無関心/平らな、色彩による肉付け
(印象主義固有の技法に劣らず革命的)
・印象主義者/マネ
→絵画の問題=なによりも媒体の問題
Ⅳ
・アヴァンギャルドにおける第二の変形
・各々の芸術は媒体の表現資源を拡張しようとする
(思想/観念の表現ではなく、経験の要素を直接的な感覚によって表現するため)
・文学の効果から逃れようとするアヴァンギャルド
→諸芸術に文学以外のあらゆる芸術を模倣させた
=芸術の混乱の三重化
・例:印象主義絵画:色彩の連続、リズミカルな充満、その気分と雰囲気
→ロマンティック音楽の効果に到達しようとしていた
・しかし、絵画はこの新しい混乱の影響が最も少なかった。
・最大の犠牲者は詩と音楽
1.詩:絵画や彫刻、音楽の効果を模倣(ポーは「真の」詩を叙情詩に限定してしまった)
2.音楽:(再現的になるとき)詩/絵画を模倣
音楽
・「完全無欠の」性質(媒体の物理的な特質に殆ど完全に没頭)
→規範芸術として詩にとって代わる
・他のアヴァンギャルド芸術が、その効果を懸命に模倣しようとしていた
(芸術の新たな混乱の第一原因)
・暗示的する力/直接的な感覚
・ヴェルレーヌが詩に求めていたもの→「まず第一に音楽から」
1.もっと暗示的になれ(暗示は音楽に押しつけられた詩的理想)
2.より直接的/より強力な感覚で感化させること
・アヴァンギャルドが探し求めていたもの
→(効果ではなく)芸術の方法としての音楽の内にある
・音楽の利点
→「抽象」「純粋形式」の芸術であること
(音楽は感情以外のいかなるものも伝達できない)
・非音楽芸術
他の感覚/器官で理解できるものを排除すれば…
→「純粋性」「自己充足性」を手に入れることができる
(アヴァンギャルドが望んでいたもの)
=肉体的/感覚的なものが強調される
・最近の芸術の混乱
→唯一、音楽が感覚に直接的に訴える芸術であるという誤解
⇔しかし他の芸術も感覚的になり得る
効果の模倣ではなく、「純粋」芸術としての音楽の原理を借りれば良い
(要約:flowinvain)
参考
「さらに新たなるラオコオンに向かって」『グリーンバーグ批評選集』勁草書房、2005年