いかにして芸術家は、連続した一定の努力により、それに比例した或る独自性に到達できるのか。
いかなる古典理論も示さなかったほど奥深く人間の魂に根を下ろす韻律法によって、いかにして詩は音楽に達するのだろうか。
フランスの詩は、ラテン語や英語のように、神秘で、いまだその価値を認められていない韻律法を所有しているということ。
ひとつひとつの言葉がどれほど多くの脚韻をもつかを正確に知らね詩人は、なにゆえなんらかの観念を表現しえねのか。
詩文は、水平線、上昇する直線、下降する直線をまねることができる。(そしてそのことから、それは音楽芸術、ならびに数学に達しうる。)詩文は、息切れもせずまっすぐ天に舞い上り、あるいは重力の素早い加速で、一直線に地獄に降下できる。またそれは、螺旋を追い、放物線を描き、あるいはつぎつぎと一連の角度ある線を表わすジグザグを描いてみせる、ということ。
あれこれの名詞を、あるときは意味の似通った、またあるときは反対のあれこれの形容詞と組み合わせることで、甘美と苦渋、至福と恐怖を表現しうることから、詩は、絵画術、料理法、美容術に結びつくものである、ということ。
(『悪の華』序文草稿(Ⅲ)抄、高畠正明訳)
『世界の詩論』pp.134-135