違和感~竹島に関するetc.~ | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


 先日のオリンピック三位決定戦:日韓戦…まあ、日韓戦では毎回、何かしら問題が起こるものですが…今回は韓国の選手が試合後に「独島はわれわれの領土」というプラカードを掲げたとして問題になっています。言うまでもなく、この行為自体は愚の骨頂です。そして、こうした記事に寄せられたコメントの多くは「メダルはく奪!」というものでした。なんだかね~…それじゃ、あんた、言ってることのレベルが向こうと変わらんよ…(;一_一)



『違和感』

 竹島に関しては、韓国の李明博大統領が訪問したというニュースもありました。そして、「韓国の内政上の要請」だと言ってしまった森本防衛相の失言が取沙汰されています。まあ、確かに失言ではあるのですが…ちと違和感があります。だって、「韓国の内政上の要請」ってのは、ある意味では本当のことですから。

 竹島は韓国の実効支配下にあります。我々は領有を主張しているわけですが、実際のところ、竹島の石ころひとつ我らの手には入らないのです。1951~52年の軍事占領後、現在までずっと韓国の支配下にあります。それが竹島の「歴史的事実」です。

 正直、この島を取り返す術は「ありません」。国際司法に訴えても彼らは出てきやしませんし、何をどう言ったって返してくれる訳はありません。(仮に日本のものだと認められたとして、彼らが素直に返してくれると思いますか?)…残る手段は実力行使しかないわけです。それにしたって、たとえば経済制裁から戦争に至るまで、幾つか段階があるわけですが、経済制裁ったって日本単独でやっても効果はありませんし、米国やら他の国を巻き込むことは不可能です。彼らからしてみたら、そんな所に首を突っ込んだって何ら得るところはありませんから。

 あるいは情報戦にしたって無意味です。たとえば竹島に相当数の住民が居るのならば、彼らの蜂起に期待することも出来るわけですが、あそこに住んでいるのはたった一家族の韓国人です。戦争?問題外ですね。得られるものに比して、リスクが大きすぎます。まあ、一部の跳ねっ返りならば、そこまでしても取り戻せと言うかも知れませんが、日本の国益を考えるなら、いかに世論を上手くコントロールするかということの方が重要でしょう。

 取り戻す術がないのに、あたかも取り戻せるかのような論陣を張る。あるいは、たとえば尖閣では現実に目を瞑って「あれは日本の固有領土なんだから、そもそも領土問題など存在しない」などという論がまかり通る。もし、政治家が正しい見解を述べることが許されているのならば、多くの政治家は、「領土問題など存在しない」のではなく、尖閣は「日中双方が領有権を主張しているが日本が実効支配している」と述べる筈ですし、竹島においては、「あれは韓国の支配下にあり、取り戻すこともできない」と述べるでしょう。しかし、それは彼らには言えることではありません。

 ポピュリズムの蔓延る世界では、過激なことを言った方がより人気を得ます。政治に対する不満が積み重なると(実際のところ、これは万国共通の病なのですが)、政治家たちは国民の目を他所へ向けるために、ナショナリズムを利用します。李明博大統領の竹島訪問などは、その典型例でしょう。あれは人気取り以外の何ものでもありません。(一方、日本において、「中国」や「韓国」「北朝鮮」などは、「官僚」や「東電」など―沖縄の場合は「基地」や「オスプレイ」など―と同様に「」の一形態であり、選挙の道具として利用されます)

 しかし、ナショナリズムは政治家のおもちゃとしては危険過ぎる道具です。与党の対外政策が生ぬるいと糾弾する野党は、(民主主義がそれなりに機能している国ならば)どこの国にもあるものです。もっと強硬に、もっと強硬に。そうして泥仕合になり、気が付けば引き返せない地点にまで踏み込んでしまうのが世の常です。韓国でも、今回の大統領訪問を受け、次期大統領候補のいずれもが、竹島訪問を検討していることが報じられています。

 忘れがちなことですが、戦前の日本でも(軍部はもとより)各政党、特に政友会などは非常に強硬な対外姿勢を持っていました。その結果は言うまでもありません。

 別に人気取りのために強硬な発言をしたって構わないのです。(言葉は悪いですが)裏で相手としっかり手を結んでさえいれば。しかし、単なる人気取りのための姿勢だった筈が、その強硬姿勢を真に受けてしまう世代が育ってくると、いつからか何が本当か嘘か分からなくなり、本当の「戦争状態」に突入してしまうのです。この段階にまで至ってしまえば、彼らの強硬姿勢は、ただ国益を損なうだけのものでしかなかったことになります。

 戦前の日本でも、明治以来の虚虚実実の老獪さを持った世代が舞台を去り始め、「純粋な」若手/中堅の将校が実権を握り始めた瞬間に、(まるで「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」と言って独走した青島俊作のように)すべてが暴発し始めたのです。

 ボクは別に「だから竹島は諦めて韓国にくれてやれ」と言う積もりはありません。正直に申し上げて、ボクは韓国が「大嫌い!」ですし、韓流など一ミリも興味ありません。しかし、それとこれとは話が違います。そのレベルの話と、国家戦略のレベルを混同してはなりません。しかしながら、現実にはその2つのレベルは切っても切り離せないのです。なぜならば、民主主義とは、個人個人の意見/好き嫌いが集まって国家の方向性が決まるものだからです。

 ここに逆流する契機が含まれています。すなわち、政治家が人気取りのために述べた発言によって、国民の感情が沸騰していき、それが結局、自身の(引いては国家の)言動を縛っていくという構図です。これは玉子が先かひよこが先かという問題にも似て、どちらが主でどちらが従というのはないかも知れません。しかし、双方が双方に影響を与え、加速度的に事態が進んでいくという構図には違いありません。

 あの島は取り戻すことが出来ません。あれは結局、外交カード(あるいは国内向けの人気取りカード)くらいしか使い道はないでしょう。実際、これまでの政権は(上手く使えているかどうかは別として)そのように考えてきたのだと思います。しかし、「外交カードくらいしか使い道がない」それは政治家に言えることではありません。国民の代表たる政治家が本当のことを言えない世の中と言うのは少しおかしいと思うのです。防衛相が本当のことを言ったら失言として糾弾される。ぼくの「違和感」はそこから来ています。

 目先のことばかりじゃなく、メタレベルから判断しなければならないのに、実際は全く逆を行っている。目先だけの発言が正しいとされ、メタレベルの発言が失言とされる。あたかも、遊びで始めたナショナリズムゲームがいつしか本物の排他的ナショナリズムに取って代わられてしまったかのように。そうして逆転してしまった考えは、いつしか深いところに根付いて、この国の将来に暗い影を落とすのです。