前回までの記事
「スラム (Slum) は、都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことであり、都市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられないなど荒廃状態にある状況を指す。」
「スコッター (squatter) とは、都心の廃屋・廃ビルや他人の敷地や家屋の不法定住者、またはそうした住宅のこと。」
注:記事内では引用の都合上スコッター/スクワッター/スクォッターなどと表記がブレますが、すべてsquatterのことを指しています。
ネパールでは都市人口の92%がスラムに居住しています*1。とは言え、彼らの全てがスクワッター(不法居住者)というわけではありません。マイク・デイヴィスによると、世界に存在するスラムの類型は大都市の中心⇔都市の周辺部、フォーマル⇔インフォーマルに分類できるのですが、このシリーズで取り上げるカトマンズのスクワッターは、大都市の中心でインフォーマル(非公式)に居住する人々です。彼らの多くは市の中心を流れるバクマティ河岸にスラムを形成しています。
「(バグマティ川の)乾季の水質はきわめて悪く下水にも等しい状態であり、CODもBODも日本の河川の数十倍と異常に高く、また溶存酵素もゼロ状態、すなわち魚などの住めない文字通りの『死の川』である」*2
以前の記事にあげた小学校の動画内にも「on the banks of a polluted river」という表現があったように、バクマティは汚染の酷い川です。そもそも、
「スクワッターたちは本来、賃貸料のかからない土地、それもほとんど価値がないために誰もわざわざ所有したり財産権を主張しないような土地を占拠する」*3
ものですが、なぜ彼らは、そのような土地に、しかも代替地や補償を拒否してまで居残るのでしょうか。そのうえ、強制排除の不安におびえてまで。それについては、以下の考察が解答を与えています。(ネパールのスラムに限ったものではなく、スラム一般についてなされた考察です)
「スラムではあらゆる形や大きさの草の根事業があり、貧しい人々はそこで仕事と収入を得ることができる。こうした大小さまざまな事業から多くの仕事が生まれ、自分の村では生きていけない人々を引きつける。事業の多くは法律すれすれか、法を破って運営されている」
「スラムで得られるのは、非公式企業の仕事だけではない。スラムには低価格な住居もあり、そこから都市での雑用的な仕事に通うことができる。また、スラムでは人々が狭い地域に集まって暮らしているため、それぞれの家で縫った衣服を集めるのは、分散した農家から野菜を集荷するのより簡単だ」
「人々がスラムに集まり住み続けているという事実を見れば、スラムの人々が何を優先しているかが分かるはずだ。なぜスラム住民は、一つの汚いトイレを800人で共有することに耐えているのか。なぜ、容器一杯分の水を手に入れるために、30分歩くことを厭わないのか。なぜ、混雑した不便な小屋に我慢して住んでいるのか。こうしたことをすべて考え合わせてみよう。スラム住民にまったく収入源がなく真に貧しいのなら、故郷の村にいたほうが生存できる確率は高くなるはずだ。答えは簡単だ。彼らがスラムや屋根のない歩道にも住むのは、生きるための仕事と収入が必要だからで、仕事は農村部よりも都市部のほうが見つけやすいという合理的な判断をしたからだ」*4
最後にひとつの文章を紹介して、この記事を終えることにしましょう。少し長い引用になりますが、カトマンズのスクワッターたちが置かれた状況が簡潔に記されています。
「バグマティ川、ビシュヌマティ川、サマコシ川沿いの河川敷き、ボードナートやゴンガブといった市街地と農地の境界域の空き地など約五十ケ所に住む無権利居住者(以下スクォッター)は1万人余り、ネワール(カトマンズ盆地の先住民)もいるが、多くは盆地外からの流入者で、居住区内の同質性は低く、民族、カースト、出身地、職業の構成が複雑な多民族国家ネパールの縮図ともいえる。20年以上の歴史をもつ地区もあり、中には立派なレンガ造りの家屋もあるが、竹や土の壁にビニールシートやトタンを被せただけ、という粗末な家が多い。こちらは井戸やトイレの不足といった居住環境に加えて、追い立ての不安を抱えているのが特徴だ。その他、寺院やパティなどの公的宿所に住みついている人およそ3000人もスクォッターである。伝統建築や観光資源の保全という立場をとる人からは邪魔者扱いされがちだ」
「頻繁に起きないとはいえ、強制立ち退きはスクォッターを脅かす。アジア開発銀行の融資で進められているカトマンズ市のインフラ整備事業の一環として、強制立ち退きが執行されたことがあった。行政の告知が十分でなかったことと暴力行為があったことを争点に、マスコミで取り上げてもらおうとしたNGOがあったが、『彼らは本当にどこにも自分の土地を持たない人なのか』と逆にスクォッターの真偽だけが取り沙汰され、再定住のための代替地獲得交渉には結びつかなかった」
「こうした場所に住む人は、近隣の市民から犯罪の温床だ、不潔だと差別されがちだが、その背景には彼らのすべてが貧しいわけではないことへのジェラシーがある。経済的に線引きされた地域というよりは、カーストによる差別、また夫がいない、子どもが多すぎる、障碍をもった家族がいるなどの理由で部屋を惜りられず、他の地区から阻害された末、そこにたどりついた人が多い場所でもあるのだ」
「スクォッターの家は脆く安心できる住まいではない。生活の厳しさがうかがえる。しかし、住民たちの半生を聞くと、他に行き場がなく流れついた人だけでなく、差別される暮らしや保守的な村の生活に自分からけりをつけ、新しい人生を求めて都市に出てきた人もいることがわかる。彼ら・彼女らはチャンスを求めようという野心やしたたかさに満ちている。地縁・血縁の絆の深いネパールにあって、人一倍強くそのしがらみから抜け出そうとしているのが、スクォッターなのかもしれない(田中雅子)」*5
さて、背景の説明はこれくらいにして、次回は2012/5/8の出来事について詳しく見ていくことにしましょう。
つづく