悪という思想3 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「この世の何処かに<悪>があり、

 それさえ取り除けば問題は解決される」という思想。


これは、保守派/リベラル。日本/海外を問わず存在する思想です。


保守派の場合は、例えば、中国、韓国、北朝鮮。そして「在日」。

(保守は安定を志向するので、「不安定要素」に敵意が向きやすい)


リベラルの場合には体制全般(特に官僚)、そしてアメリカ(米軍)など。

(リベラルは自由を目指すので、「権力」に敵意が向きやすい)


共産系の場合は、大企業、資産家、そして天皇制など。

(共産主義は平等を目指すので、「持つ者」に敵意が向きやすい)


また、左右を問わず当てはまるものもあります。(東電/原発など)


大体、「~は悪の手先である」と置いて違和感がないのが、

(つまり、誰かが言ってそうなのが)これに当てはまるのです。


ぼくは保守派により近い立場の人間なので、敢えて取り上げますが、

現今の上記三国(中/韓/北)に対する言説には目に余るものがあります。

現在、これが<悪という思想>の、もっとも酷い形かも知れません。


前述した全ての事柄にも同じことが当てはまるように、

これらの国に何も問題がないとは、もちろん言いません。

言いませんが、しかし、現今の言説を見るにつけ、

脳裏に関東大震災の折の悲惨な逸話がよぎるのもまた事実です。


「悪という思想」は、かような敵意を餌に増殖します。そして、

「悪」という概念が特徴的なのは、それが「存在」と一体だということです。

(悪事を働くのは悪人なのです。悪事を働く善人などは有り得ません。

 あるいは、悪事を働くから悪人、善行を積むから善人とも言えます。)


つまり、何らかの問題や摩擦があったとして、

それに対して「悪」というレッテルを貼ってしまうと、

敵意は「行為/現象」ではなく「存在」を、その対象にしてしまうのです。


「行為/現象」(本質的に一回性のもの)に収斂されない敵意は、

「その存在が表す記号(たとえば、○○人)」へと、

言い換えるならば、「その存在が属する集団」へと徐々に拡張され、

最終的にはその集団全部を否定するに至ります。


これを最も極端な形で体現したのがナチです。


次回に続きます<(__)>