ヴァーチャル世界論3 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
3-1
 さて、些末な反論はこれくらいにして、本題に入りましょう。ヴァーチャルな世界に没入し続けるということは(一体)どういうことでしょうか。VRとしてのヴァーチャル世界と、サイバースペースとしてのヴァーチャル世界との二つに問題を切り分けて反論していきたいと思います。まずはVRに没入するということを考えてみましょう。機械工学を専門にしているMITの教授、セス・ロイドは次のように言っています。
 
セス・ロイド(1960-)Seth Lloyd : MITの機械工学教授
 量子コンピュータ上での宇宙のシミュレーションは、宇宙そのものと区別がつかないのだ。
 セス・ロイド『宇宙をプログラムする宇宙』水谷淳 訳、早川書房、2007

 これは、見方を変えれば、ぼくらの宇宙自体がつまり現実世界そのものが量子コンピュータ上でのシミュレーションであるかも知れないということを示唆します。しかし、実際のところ、このような懐疑はあまり意味がありません。なぜならば、宇宙そのものと区別がつかない以上、内部からそれがシミュレーションであるということを知る術はないからです。真の意味で没入してしまったのならば、没入していることにも気づきません。問題はむしろ、VRが不完全なことによって生じるのです。つまり、片足を「現実世界」に突っ込んでいるからこそ、弊害は弊害でありえるのです。ですから、VRに没入し続ける弊害を述べる立場に反論するのならば、VRに没入することによって生じる弊害のすべては、「VRに没入し続けること」によって生じるのではなく、むしろ逆に「没入しきれていない」からこそ生じるのではないか、ということになります。
 
3-2
 続いて、サイバースペースとしてのヴァーチャル世界の場合を見ていきましょう。今年の初頭からアラブ世界で民主化要求のデモが続いており、それは今もって進行中です。リビアは内戦状態に陥ってしまいましたが、チュニジアやエジプトでは独裁政権が倒れ、民主主義革命という事態にまで発展したことは周知の通りです。これらの革命ではネットの力が大きかったということが良く言われています。
 
 チュニジアはじめ現代アラブの国々の市民はフェイスブックで連絡をとりあい、ウィキリークスがベンアリ夫妻と一族の腐敗と醜聞を手に取るように知りえたのだ。(中略)ツイッター、ユーチューブ、各種ウェブサイトやDVDは、秘密警察や情報機関に支えられたアラブの独裁国家を動揺させる大きな手段である。
2011/5/25閲覧)
 
 しかし、ぼくはもう一歩踏み込んでみたいのです。つまり、これらの事象はネット世界(サイバースペース)の平等性(たとえばサイバースペースにも政府系のウェブサイトが存在しますが、それが個々のウェブサイトを支配しているわけではありません、個々のウェブサイトと政府のウェブサイトは全く対等なのです。)や公開性(エジプト政府はネットを閉鎖しようとしましたが、それはすでに手遅れでした。みな、すでに何が起きているかを知ってしまっていたからです。)といった現実が現実世界に流れ込み、独裁制(チュニジアのベン=アリー政権は約23年、エジプトのムバラク政権は約30年の長期政権でした。)や秘密主義(革命後、チュニジアでは秘密警察、エジプトでは国家保安情報局の解体が発表されました。)といった現実世界の現実を呑み込むことで起こったようにぼくには思えるのです。

 現代の日常生活においてサイバースペースに触れずにいるのはとても難しいことです。人々は否応もなしにサイバースペースへと引き込まれていきます。ボードリヤール流に今後は地図こそ領土に先行するといった表現を使いたいところですが、それよりもむしろぼくはサイバースペースと現実世界が環流していると言いたいのです。
   
 その点を考えていく上で興味深いと思える現象があります。初音ミクです。初音ミクとは何でしょうか。元々は単なるPC用の作曲ソフトでした。そのソフトにはスコアエディターと人間の声を元に合成したボーカル音源、そしてパッケージに載せられた絵だけが存在していました。このソフトを買った多くの人は、自身で作曲した、あるいは自身の好きな既存の曲をソフトに入力し、それをネット上(つまりサイバースペース)にアップします。ニコニコ動画やYou Tubeにアップされたそれら多くの曲には、パッケージに描かれた絵を元に、彼ら自身が作成した、あるいは依頼した、あるいは何処からか持ってきた画像や動画が組み合わされていました。そしていつしか、サイバースペースにおいて初音ミクという仮想人格が形成されていったのです。参考としてYou Tubeのコメントを引用してみましょう。

参考:初音ミク 「粉雪」(YouTube)
2011/5/25閲覧)
      初音ミク 「粉雪」コメントより
 初音ミクは、他の人からはただの機械かもしれない。
 今こうして初音ミクを見ている皆さん。
 横にある、関連動画を見てください。
 ここにあるのは、制作者がそれぞれの思いを込めて作った曲達です。
 ふざけて作ったのもあれば、真面目に作ったものもあると思います。
 でも、皆音楽が好きだから作ったんだと思います。
 もしかしたら、初音ミクに出会っていなかったら、音楽なんて興味を持たなかった人だってたくさんいるんじゃないでしょうか?
 初音ミクという存在は、音楽界に欠かせない存在になってきています。
 初音ミクは、自分の書いた歌詞を歌ってくれるVOCALOIDです。
 もし、初音ミクがいなかったらこんな素晴らしい制作者なんていなかったとおもいます。

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 これを引用したのはぼく自身、心を動かされてしまったからですが、本論にとって注目しなければならないのは最後の一文です。ここでの表現は「もし、初音ミクがいなかったら」となっています。「もし、初音ミクがなかったら」ではないのです。この時点において、初音ミクは単なる作曲ソフトではなくなっています。しかし、事態はここからさらに、もう一歩進みます。サイバースペースという仮想空間で生まれた仮想人格である初音ミクが現実世界でライブを行うのです。
 
参考:Love Words - Vocaloid - Hatsune Miku 39'sGiving Day Concert(YouTube)
2011/5/25閲覧)
 
 ここで起こっていることを物理的に還元すれば、(特殊なフイルムで作られた)フラットな透過スクリーンに投影される3D映像と、スピーカーから流れる合成音声とバンドの演奏、そして、それに反応する観客に過ぎません。しかし、ここで起こっていることは、もっとずっと別のことです。ここでは仮想と現実の境界線は限りなく曖昧で、それはむしろ、その二つが一体となって、一つの場を形成していると言えるのかも知れません。そして、このライブが映像となって再びサイバースペースにアップされます。これら一連の流れを見てみると、サイバースペースの事象が現実世界に滲みだしてきて、そこからさらにサイバースペースへと環流していくことが分かります。つまり、サイバースペースは行き止まりの構造になっていなくて、現実世界と還流する関係にあり、そこに没入し続けることで、むしろ現実世界に戻ってくるような構造を持っているようにぼくには思えるのです。