『語りうること』
デジタル写真/映像の場合、
写真/映像そのものについては語り得てしまうのではないだろうか。
∵
(言語と同様に)配列によって、写真/映像そのものを再現できてしまうからだ。
注:語り手と受け手が“パレット”と“マス目”(=言語体系)を共有していることが前提となる。
しかし、「その写真/映像から我々がどういう感覚を受けるか」
ということに関して、言語は何も語り得ない。(赤の、青の、「あの」感じ)
つまり、言語は本質的に(語り手よりは、むしろ)対象に寄り添っている。
そこで生まれるのが「詩(比喩)の原理」なのかも知れない。
つまり、詩は「あれとあれは似ている」という方法で対象と対象を結び、
その中間点に位置する「語り手自身」の存在を明らかにする。