3.ガリレオとエルスハイマー
≪エジプトへの逃避行≫が1609年に描かれたのならば、1610年3月に出版されたガリレオの『星界への報告』を利用することは不可能です。しかし、当時パドヴァに居たガリレオが望遠鏡の噂を聞いたのは、おそらく1609年の5月か6月、それを自ら制作してヴェネツィアで披露したのが同年8月でした。*1 それでは、ガリレオとエルスハイマーの間に交流があったと考えるべきでしょうか。続いて、ガリレオとエルスハイマーの関係を見ていきましょう。
ガリレオとエルスハイマーの関係を考える上で、注意する点は2つあるように思います。1点はエルスハイマーがヴェネツィアにいた時期(1598-1600)にガリレオが対岸のパドヴァにいたということ。しかし、これに関しては面識があったという直接的な証拠はありません。第2点はガリレオが1611年の4月に会員になったローマのアカデミア・デイ・リンチェイ(Accademia dei Lincei)とエルスハイマーとの関係です。

アカデミア・デイ・リンチェイの紋章
Klessmanはアカデミアの紋章に描かれている山猫に関して、その様式などからエルスハイマーが描いたものではないかと推測しています。*2 また、1624年に当時のアカデミアにおいて最も若いメンバーであったユストゥス・リキウス(Justus Rycquius)がアカデミアの創設者フェデリコ・チェージ(FedericoCesi)に捧げた詩集には、エルスハイマーを称える詩が含まれています。*3 エルスハイマーの友人ジョバンニ・ファーバーがアカデミアの会員だったことも指摘できるでしょう。彼がアカデミアに入会したのはエルスハイマー死後の1611年12月でしたが、*4 それ以前からファーバーとアカデミア創設者のチェージは親しい共同研究者として活動していたようです。*5 このように、エルスハイマーとアカデミア・デイ・リンチェイの関係性を示唆するものはあるのですが、その関係を直接に示した証拠はありません。
しかし、エルスハイマーとアカデミアとの間に直接の関係があったかどうかは、ガリレオとエルスハイマーの関係を考える上ではおそらく問題にならないのです。それはなぜか。ぼくはむしろ、1611年以前、つまり、エルスハイマーが生きていた時期におけるガリレオとアカデミアとの関係を否定したいと思います。
ガリレオ以前にアカデミアに入会したデッラ・ポルタ(Giambattistadella Porta)という人物がいます。望遠鏡が発明されたと推定されるのは1600年代の初頭、オランダにおいてのことでしたが、1589年に出版された『自然の魔術』において、デッラ・ポルタはすでに望遠鏡の原理と呼べるような概念を示しています。*6 ただし、この時、彼は実際に望遠鏡を作っていたわけではありませんでした。
一方、ガリレオは1609年8月にヴェネツィアで望遠鏡のデモンストレーションを行っています。*7(筆者註:これは日中に行われたデモンストレーションであり、ガリレオが夜空に望遠鏡を向けたと分かっているのは1609年末のことです。また、月面のクレーターや天の川のことにガリレオが言及したのは翌1610年3月に出版した『星界の報告』が最初でした。*8) ヴェネツィアで行われたこのデモンストレーションの噂を聞いたデッラ・ポルタは同年8月28日付けでアカデミアの創始者チェージへ手紙を書きました。その手紙の中で彼は、
「いずれにせよ、それは私の『屈折光学』9巻から取られた」
”In any case, it’staken from book 9 of my De refractione”
DavidFreedberg The Eye of the Lynx TheUniversity of Chicago Press, 2002, p101
アイデアであるとしてガリレオを批判すると共に、望遠鏡の作り方を書き記しています。*9 デッラ・ポルタがアカデミアに入会したのは、翌年、1610年のことでしたから、1610年時点においてアカデミアはガリレオに対して批判的な立場にあったと考えられます。これを証明するように、アカデミアの創設メンバーのひとりフランチェスコ・ステルチ(Francesco Stelluti)は、彼の兄弟に宛てた1610年9月付けの手紙の中で、
あなたはガリレオ(つまり、彼の『星界の報告』を、そして彼が言っている重要なこと)を、今までに見たはずだ。しかし、ジョバンニ・バッティスタ・デッラ・ポルタが彼の『自然の魔術』そして『屈折光学』において、そのことについて書いてから既に30年間が経っている。したがって、哀れなガリレオは恥じることになるだろう。
By now I’m sureyou’ve already seen Galileo, that is his Starry Messenger, and the great thingshe is saying…but it’s now thirty years since GiovanniBattista della porta wrote about it in his Natural Magic and his On Refraction,so that poor Galileo will be shamed.
DavidFreedberg 前掲書, p105
と書いています。しかし、これら一連の批判はいささか的外れのものでした。なぜならば、ガリレオは自身が望遠鏡を発明したなどとは一言も言っていなかったからです。
2009年はガリレオが望遠鏡を夜空に向けてから400年ということで国連、ユネスコ、国際天文学連合によって世界天文年に定められましたが、*10 1609年にガリレオが天文学に果たした貢献は3つ挙げられるように思います。すなわち、①望遠鏡の原理を正しく理解し、その性能を著しく向上させたこと。②そうして改良した望遠鏡を当時の天文学的状況を一変させるに足る対象(つまり木星)に向けたこと。③そうして観測した結果を正しく解釈したこと。これら3つがいわばパッケージとしてあり、これら3つの内の一つでも欠けていたら、ガリレオはガリレオではなかったでしょう。そして、これら3つは、彼が望遠鏡を発明したか否かに関わらず高く評価されるべきものでした。アカデミアはいつ、そのことに気が付いたのでしょうか。これには、ガリレオが発見した木星の衛星と、当時ローマの学問世界で支配的な地位にあったローマ学院(Collegio Romano)が関わっています。
*1. Engel Sluiter "The Telescope before Galileo." journal for the history of astronomy vol.28, Science History Publications, 1997
*2. Rüdiger Klessmann 前掲書、p.177
*3. David Jaffe and Elizabeth McGrath "A humanist tribute to Elsheimer" Bulington Magazine vol.131, The Burlington Magazine Publications, 1989
*4. David Freedberg The Eye of the Lynx - Galileo, his friends, and the beginnings of modern natural history The University of Chicago Press, 2002, p.74
*5. ウィリアム・R・シーア/マリアーノ・アルティガス著、浜林正夫/柴田知薫子訳『ローマのガリレオ』大月書店、2005(原書2003)、p.48
*6. フレッド・ワトソン著、長沢工/永山淳子訳『望遠鏡400年物語』地人書館、2009(原書2004)、pp.66-62
*7. Engel Sluiter 前掲書
*8. David Freedberg 前掲書、p.102
*9. David Freedberg 前掲書、p.101