(第二章)1609年、エルスハイマーの望遠鏡 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


2. 描かれた星空から見た可能性
 
 次に、≪エジプトへの逃避行≫に望遠鏡が使われた可能性があるかどうかを、描かれた内容という側面から考えてみましょう。この作品に望遠鏡が使われたとするならば、2つの箇所にその可能性があります。ひとつ目は月面です。西洋絵画において1609年以前には≪エジプトへの逃避行≫のように月が描かれたことはありませんでした。*1 チーゴリ(Cigoli)がサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に描いた≪無原罪の御宿り≫では月面のクレーターがはっきりと描かれていますが、これは1612年に完成した作品であり、チーゴリの友人ガリレオの発見をもとに描かれたことが明らかです。


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チーゴリ≪無原罪の御宿り≫1610-1612
フレスコ壁画、ローマ、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
 

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 ガリレオは彫刻と絵画の優劣に関する論議でチーゴリに味方して絵画の優位を主張し、*2 チーゴリはガリレオの発見の直後に月面をこのように描くことで天文学の世界におけるガリレオの立場を擁護したのです。

 一方、エルスハイマーが1600年ころに制作した≪聖クリストフォロス≫にも月は描かれていますが、その月はまだら模様ではありません。したがって、1609年に描かれた≪エジプトへの逃避行≫において月がまだら模様で描かれている背景には、なんらかの要素が介在したと考えるのが自然でしょう。


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左:アダム・エルスハイマー≪聖クリストフォロス≫1600
油彩/銅板、22.5x17.5cm、サンクト・ペテルブルク、エルミタージュ美術館
右:≪エジプトへの逃避行≫部分

 
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 もうひとつ望遠鏡が使われた可能性があるのは天の川です。裸眼によって天の川を星の集まりと認識するのは非常に困難なのです。古代ギリシアの哲学者デモクリトスのように、天の川が遠い星の集まりであるかも知れないと推測した人はいましたが、*3 実際に天の川が星の集まりとして報告されるのは、16103月に出版されたガリレオの『星界の報告』まで待たなければなりません。*4 『星界の報告』のわずか7年前(1603年)に出版された星図『ウラノメトリア』においても天の川は単なる帯として描かれていることからも分かるように、『星界の報告』が出版される以前のこの時代に、天の川が星の集まりとして描かれるためには望遠鏡の存在を抜きにしては考えにくいのです。


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 望遠鏡を抜きにして考えた場合、1609年の段階でエルスハイマーが突如として古代ギリシア哲学者の意見に従って天の川を描いたことになってしまうのですが、それはかなり無理がある考えのように思えます。
 
 ちなみに、我々が裸眼で見ることが可能な全天の星の数は約6000ですが、地球上では全天の半分は地平線の下に隠れているので、一時には半天しか見ることが出来ません。つまり、約3000というのが一時に見られる星の数になります。≪エジプトへの逃避行≫に描かれている空は、半天のさらに1/3以下でしょう。したがって、その空において裸眼で見ることが可能な星の数は1000以下の筈です。*5しかし、実際に≪エジプトへの逃避行≫に描かれているのは、実に2700もの星々です。このうち、天の川だけで1500という数を占めます。*6 少なくとも、絵画の内容という側面から見た場合には、実際に望遠鏡が使われたと考えても不自然ではないでしょう。

また、エルスハイマーが≪エジプトへの逃避行≫以前には星空を描いていなかったことも、ひとつの証左として与えられるでしょう。つまり、望遠鏡によって月や天の川の真の姿を見たことがエルスハイマーの創作意欲を刺激して、主題とは直接に関係しない星空が画面を支配するような大胆な構図が用いられたと考えられるのです。ただし、実際に望遠鏡を使って描かれたガリレオの『星界の報告』におけるプレアデス星団と見比べてみると、エルスハイマーの≪エジプトへの逃避行≫に描かれているプレアデス星団は明らかに星の数が少ないように見えます。


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ガリレオが制作した望遠鏡の性能が同時代の中では圧倒的に優れていたことを差し引いても、天の川を星の集まりとして認識できるほどの望遠鏡ならば、もう少し多くの星々をプレアデス星団においても認識できるはずなのです。したがって、エルスハイマーはプレアデス星団には望遠鏡を用いなかったと考えるべきでしょう。冬に見られるプレアデス星団に望遠鏡が使われた形跡がないということは、≪エジプトへの逃避行≫に望遠鏡が使われたのだとしても、それは、冬以外の時期(つまり、絵の構図が決まったと推定される1609616日に近い時期)のみだったということを示唆します。エルスハイマーの経済状況などから見ても、望遠鏡を覗く機会は限られていた(つまり、借りたか、見せてもらう機会があった)と考えた方が自然のように思えますが、ここでは断定を避けましょう。
 
 
*1. Rüdiger Klessmann 前掲書、p.177
*2. Erwin Panofsky "Galileo as a Critic of the Arts" Isis vol.47 , The History of Science Society,1956
*3. Gerhard Hartl und Christian Sicka 前掲書、p.116
*4. 奥田治之/祖父江義明/小山勝二 著『天の川の真実』誠文堂新光社、2006p.20
*5. Gerhard Hartl und Christian Sicka 前掲書、p.116
*6. Gerhard Hartl und Christian Sicka 前掲書、p.116