(第一章)1609年、エルスハイマーの望遠鏡 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

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(表記などを修正)


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1609年エルスハイマーの望遠鏡』
 〜Adam Elsheimer 1578-1610〜


はじめに一枚の絵画をご覧いただきましょう。


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作者不詳≪エジプトへの逃避行≫17世紀、油彩/銅板、30x44cm、パリ、ルーヴル美術館


銅板に油彩、30×44cm17世紀に描かれたもので、パリのルーヴル美術館に所蔵されています。この作品を何の先入観もなく、ただそれだけで見たのならば、こういう作品だと思って終わりかも知れません。ぼくにはしかし、何かが足りないように感じられます。じつは、これはアダム・エルスハイマー(Adam Elsheimer)作≪エジプトへの逃避行≫の模写です。作者の名前は明らかになっていませんが、構図や細部など、かなり正確に再現されています。しかしながら、たったひとつだけ、この作品には星空がありません。基になったエルスハイマーの作品を見てみると、その星空の効果が著しいものであることが分かります。

 

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アダム・エルスハイマー《エジプトへの逃避行》1609
油彩/銅板、31x41cm、ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク


エルスハイマーは夜の場面を何度か描いていますが、じつのところ星空を描いたのは、この一枚だけです。この星空は、いったいどういう状況の下で描かれたのでしょうか。ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)が自身の制作した望遠鏡で夜空を観測した結果を『星界の報告』として出版し、天の川が星の集まりであることを発表したのは16103月のことですが、1609年に制作された≪エジプトへの逃避行≫では既に天の川が星の集まりとして描かれています。したがって、この作品には1608年末にオランダで発明されたばかりの望遠鏡が実際に使われた可能性があります。このレポートでぼくは、エルスハイマーが望遠鏡を使ったかどうかを多角的に検証していきます。
 
 
1.  ≪エジプトへの逃避行≫が描かれた時期の特定
 
まず、この作品が描かれた時期を特定することにしましょう。望遠鏡を使ったと推定するならば、描かれた時期の特定が非常に重要になります。確認できる限りエルスハイマーの≪エジプトへの逃避行≫が初めて文献に登場するのは、1611/1/14付けで書かれたピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)の書簡でしょう。この書簡はエルスハイマーの死の知らせを受けて、ジョバンニ・ファーバー(Giovanni Faber)に返信したものです。この中でルーベンスは、エルスハイマーの死が画家たちにとって、そして自身にとってどれほどの損失であるかを嘆くとともに、≪エジプトへの逃避行≫についても触れています。ルーベンスは「あなた(つまりファーバー)の手紙で言及されていた銅板画≪エジプトへの逃避行≫」を私の国へと持って来たいという希望を述べています。手許にあるのは英訳されたものなのですが
 
that picture on copper (of which you writeof the “Flight of Our Lady into Egypt”
translated and edited by Ruth Saunders Magurn The letters of Peter Paul Rubens
Harvard University Press, 1955, P.54
 
というのが、その表現になります。これは、ルーベンス自身が≪エジプトへの逃避行≫を見たことがなく、ファーバーの手紙によって初めて知ったということを示唆しています。実際に見たことがない作品を買おうとしたというのは些か奇異にも思えますが、これは、≪エジプトへの逃避行≫がエルスハイマーの遺作であり、数少ないエルスハイマーの作品の中でも、まだ買い手が決まっていない唯一の作品であるとルーベンスが考えていたためでしょう。手紙の中で、
 
if his widow cannot sell it promptly in Italy
もし彼の未亡人がそれを即座にイタリアで売ることが出来ないのならば、
Ruth Saunders Magurn, 前掲書P.54
 
 と言っていることがその証左になります。実際のところ、≪エジプトへの逃避行≫はエルスハイマーの債権者でもあった弟子のヘンドリック・ハウト(Hendrick Goudt)が借金の形として受け取ったので、ルーベンスの希望は叶いませんでした。*1 しかし、ハウトはエルスハイマーの死後すぐに故郷のユトレヒトに帰ったので、ルーベンスはその地で≪エジプトへの逃避行≫を見て、そして、エルスハイマーへのトリビュートとして自身の≪エジプトへの逃避行≫を描いたのだと推測できます。


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ピーテル・パウル・ルーベンス《エジプトへの逃避行》1614
油彩/板、40x53cm、カッセル、国立美術館


 とは言え、ルーベンスはエルスハイマーをそういう状態、つまり、債務者監獄に追いやって結果的に死に至らしめた人たちを許さないと書いていますし、*2 あるいは、生涯見る機会がなかった可能性も考えられます。この前提に従うのならば、両者の≪エジプトへの逃避行≫の共通点は水面に映る月くらいのものですから、ファーバーがルーベンスに宛てた手紙の内容も何となく推測できるような気がします。
 
 ともあれ、ルーベンスがローマから故郷のアントウェルペンに向けて旅立ったのは1608年の10月末のことですから、ファーバーの手紙を受け取るまでルーベンスが≪エジプトへの逃避行≫の存在を知っていなかったという事実は、エルスハイマーの≪エジプトへの逃避行≫が1608年の10月末以降に描かれたということを示しています。


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 もっと直接的な証拠もあります。Adam Elsheimer fecit Romae 1609」これは≪エジプトへの逃避行≫の裏面に書かれた署名です。上の方に書かれた署名の下に、良く見ると下の方にも非常に薄く署名が書かれているのが分かると思います。上の方の署名と下の方の署名は同一人物による筆ではないように見えますが、アルテ・ピナコテークのキュレーターMarcus Dekiertは、上の方の署名は確かに17世紀のものであるがエルスハイマー本人の手によるものではないと言っています。*3 その辺の事情を少し調べて見ましょう。
 
 ここで比較のために1608年に描かれたと推定されているエルスハイマー作≪ケレスの嘲笑≫の裏面に書かれた署名を見てみます。特にAdの字に注目すると、≪エジプトへの逃避行≫上方の署名と同一人物によって描かれたもののように思えるのですがどうでしょうか。また、美術史家のRüdiger Klessman は≪ケレスの嘲笑≫に書かれた署名が、エルスハイマー作≪アウローラ≫の裏面の署名を書いた人物によるものだろうと指摘しています。*4 Dekiertは、ひとつの可能性として、≪エジプトへの逃避行≫裏面の消えかかっている下の方の署名が本人の署名であり、上の方の署名はその内容を保存しておくために、初期のオーナーが書いたものだろうと推測しています。ちなみに、≪エジプトへの逃避行≫≪ケレスの嘲笑≫≪アウローラ≫の3つとも、ハウトが所有していた作品です。
 
 ともあれ、注目したいのは≪エジプトへの逃避行≫裏面の右端に見える1609という数字です。この部分は比較的見やすいのですが、Dekiertは、この部分に関して、のちの画家(おそらくハウト)が消えかかっているエルスハイマー本人の筆をなぞったのではないかと推測しています。*5  いずれにせよ、この一連の文字列がエルスハイマー本人の署名の内容を保存しているという点ではDekiertKlessmanも疑っていません。通常、署名が書かれるのは作品が完成したあとである筈なので、≪エジプトへの逃避行≫は1609年の内に完成していたと考えても良いでしょう。


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 もう少し時期を特定したいと思います。満月と天の川の配置から、ドイツ博物館の天文学部門キュレーターGerhard Hartl と物理学部門キュレーターChristian Sickaは、≪エジプトへの逃避行≫に描かれた夜空が1609616日の夜空であると結論づけました。*6 この作品の構図を支配しているのは2つの月と画面を斜めに横切る天の川です。したがって、この2つの要素が≪エジプトへの逃避行≫が描かれた1609年のある特定の日付に帰せられるという事実は、この作品の構図がいつ決まったのかということに対して、重要な意味を持ちます。しかし、たとえ、この構図が1609616日に決まったのだとしても、それはその日に作品が完成したという意味にはなりえません。この作品には現実の星座や星団と同定できる形に星々が描かれている箇所が幾つかありますが、その中には夏の星座であるイルカ座や、冬に見られるプレアデス星団が混在しています。*7


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 したがって、エルスハイマーは長い時間を掛けて星空を観察し、この作品を描いたと考えられるのです。さきほど、この絵画が1609年内に描かれたということを確かめたので、とりあえず、構図が決まったと推定できる1609年の616日を基準点に、遅くとも1609年の年末までにこの作品が完成したと考えてみることにしましょう。
 

*1. Joachim von Sandrart Teutsce Akademie der bau-, Bild- und Mahlerey- Künste1675
*2. translated and edited by Ruth Saunders Magurn The letters of Peter Paul RubensHarvard University Press, 1955, P.54
*3. Marcus Dekiert "Adam Elsheimers Flucht nach Ägypten-werk und Wirkung" Von Neuen Sternen - Adam Elsheimers Flucht nach Ägypten, Pinakothek-DuMont, 2005p.24
*4. Rüdiger Klessmann Adam Elsheimer 1578-1610 Paul Holberton Publishing2006p.145
*5. Marcus Dekiert前掲書、p.24
*6. Gerhard Hartl und Christian Sicka "Komposition oder Abbild?" Von Neuen Sternen - Adam Elsheimers Flucht nach Ägypten, Pinakothek-DuMont, 2005p.111
*7. Gerhard Hartl und Christian Sicka 前掲書、p.119