読書にまつわる、さして長くもない話1 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


『百年の孤独』を読み終わったのち、

とあるデンマーク人作家の小説を読み始めたのですが、

短編をひとつ読んだだけでGive Upしてしまいました。


代わりに読んだのが↓の記事でアップした『ある放浪者の半生』。

その感想は記事に書いたから置いておくとして・・・

(と、言いつつ、なんとなく書評は性に合わない気がしたので

 消してしまいました<(__)>)←映画レビューはするくせに(笑)


遡って、そのデンマーク人作家の小説をあきらめたのは、

翻訳が良くなかった(「ぼくには合わなかった」と言うべきか)からなのです。

(別の作品も同じ訳者でしたし。なんだか、妙に読みづらい翻訳でした。)


思うに、作家の能力はいくつかに分けられるのではないでしょうか。

ひとつは「内容」(思想や知識、調査力など、中身の深さ)

ひとつは「物語る力」(構成力や話の展開など、読ませる力)

ひとつは「感性」(幻想や描写力、比喩など、感性に訴える力)

そして、最後が「言葉自体の美しさ」


上の三つを翻訳することは可能ですが、

最後のものを翻訳するのは(どのようにしても)不可能でしょう。

翻訳された詩を読んでも、あまり意味がないのと同じこと。

(もちろん「内容」や「感性」に関わる部分は通じるのですが)


本を読む時、ぼくが重視しているのは「内容」のような気がします。

それは、もしかすると、僕が読んできた作家の影響なのかも知れません。

おそらく(というか間違いなく)僕がもっとも読んできた作家はアシモフです。

(SFを初めとして、科学エッセイや推理小説まで手掛け、

 その総著作数は500冊を超えるっていう信じられない人(笑))


SFの巨匠である彼の(実際の)文章が美しいかどうかは分かりません。

しかし、彼の最大の特徴は、その論理展開の妙だと思うのです。

博学な上に化学博士でもあるアシモフは非常に論理的な文章を書きます。

論理というのは、翻訳されて失われたりするものではありません。

数学が世界共通の言語であるのと同じようなことでしょう。


もともと、「内容」を重視する傾向が僕の性に合っていたのか、

それとも、アシモフ(や他のSF作家)によってそういう傾向が培われたのか・・・

いずれにせよ、最近、良く感じるのは

言葉自体が美しい文章を読んでみたい」ということ。

それは、これまでの読書が偏っていたことへの反動なのかも知れません。

なにしろ、(SF小説とか歴史小説を除けば)ノンフィクションなど、

知的欲求を満たすような本ばかり読んできたのです(* ̄艸 ̄)


(最近、著名な作家さんによる再訳がブームになっていますが)

言葉自体が美しい文章」を読みたければ、

やはり作家オリジナルの文章を読む必要があると思うのです。

もちろん、英語圏の作品を原文で読むという手もありますが、

ぼくの語学力では一冊読むだけでも非常に時間が掛かります。

(じつを言えば、去年からずっと読んでいる洋書があります←やはりSF(笑))


そんなこんなで、

美しい文章を書く日本人作家を見つけたいと思ったのでした。

え~・・・長くもない筈の話が長くなってきました<(__)>

つづきは次回。


P.S.
ちなみに、今はT・カポーティの『冷血』を読んでます(* ̄艸 ̄)