25日(水)、声掛け頂いて高槻市の『今城塚古墳』を見学した。

何も分かっていない私一人が出掛けても、得るものは僅かしか無いけれど、今回は何人かの詳しい方が一緒なのに加えて古代史専門のガイドもあり、疲れはしたが意義ある一日を過ごせた。

 

JR摂津富田駅からバスで数分、古代歴史館へ入る。

誠に立派な歴史館、これが入場無料というから高槻市は太っ腹である。

 

その気になって古墳を見るなんて生まれて初めて、長さ181mの前方後円墳の周りには夥しい数の埴輪が並んでおるのだが、このひとつひとつは、発掘された状態そのままに作成されたレプリカだというから度肝を抜かれる。

 

発掘調査中の航空写真だろう。

 

古墳時代中期以降の方形部分(これが前にあたる)は、後円部分(こっちが後ろ側にあたる)より広くなってるから、この部分見るだけで一定の築造時期が分かるんだとのお話で、方形の横っちょに飛び出してる部分は祭祀を執り行う舞台になるんだとの解説もあった。

 

淡墨桜が満開。

継体が近江から招請された折、故郷を忘れまいと自ら植樹したという言い伝えがある。ただ宮内庁はあくまでこの陵を継体天皇のものだとは認めていないから、高槻市としても「天皇陵でござい」とは言えないのかも知れず。

 

Fガイドさんによれば、埴輪表面の縦縞だけでこれは6世紀の築造だと分かるから、

やはり継体天皇陵と考えるのが妥当だと仰る。

宮内庁は太田茶臼山古墳を継体天皇の陵墓と定めておるが、そこの埴輪の刷毛模様は横向きに走っており、継体天皇が無くなる100年も前のもので時代にそぐわないらしい。学者は一致してそう判断してるのに、何故宮内庁は認めない?そこが不思議と言えば不思議である。

 

祭祀の舞台へ上がる。

 

 

力士の埴輪 こんな昔から相撲ってあった? そうであれば相撲も神事だ。

 

埴輪は祭祀の様子を表すと共に『結界』をも示し、人は立ち入れぬ向こう側となる。

 

この巨大な構築物を見れば、往時の村人達の悲惨な生活が偲ばれる。

 

 

当時の技術は大陸から伝わったもの、排水設備も丁寧に作られてる。

 

前方部分の角、この石組みは1,500年前そのままの姿だそうな。

 

 

予報通り雨が降り始めた。しかし上手い具合に外部の見学を終え、お昼からは歴史館内部の見学になった。

 

写真は撮り忘れたけど、この日一番驚いたのはこの銅鏡ではなかろうか。

卑弥呼に、中国の魏王朝から贈られた100枚の銅鏡(三角縁神獣鏡)の内の1枚ではないかとされるものが展示されていたのだ。

 

これはレプリカの三角縁神獣鏡

 

こちらは本物

 

石棺 これは凝灰岩をくり抜いたもの。

 

副葬品と共に眠る王

 

 

千木を飾った高床式の家

当時から既に神社の飾りが出来てたんだと、これにも驚く。

 

私は行けなかったけど、阿武山古墳というのがあって、どうやら中臣(藤原)鎌足の墳墓ではないかと言われてるそうだ。平安時代に権勢を奮う藤原氏の祖先である。

 

いやいや随分疲れた。

スタスタ歩きさえしてれば3~4時間は大丈夫だけど、展示物見るって立ちっ放し・・ 阪急富田駅前の“まる満”でのビールは実に旨かった。

 

さて今日は孫6号、千葉県の球場で全国大会1回戦、どうやらyoutubeでライブ中継されるようだから目が離せない。