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ラブ・青春etc

「愛弓ちゃん、こっちこっち」

居酒屋の前まで行くと、店長と先輩が既に来ていて、店の前で手招きをしていた。

「愛弓ちゃんそういう服も着るんだね。素敵だよ。ね、店長」

「女の人ってやっぱり、少し着飾っただけで変わるもんなんだな。仕事だとパンツだからね。今の方が可愛いよ」

愛弓は少し照れて、頬を赤く染めた。

「ありがとうございます。他の方はまだなんですか?」

「うん、そろそろ来ると思うんだけど。全部で八人だから、あと五人来るよ。ほら来た。おーい菅原さんたち!こっちこっち」

店長が菅原さん達と話している間に、愛弓は先輩の肩をたたいた。

「どうしたの?」

あの綺麗な瞳がこちらを覗き込む。

「あの、こういう飲み会って初めてで、どうしたらいいのかわかんないんです。ただでさえ人見知りなので…それにお酒も初めて飲むし…ちょっと不安なんで隣座らせてもらってもいいですか?先輩は普段から話してるんで、側にいてくれると嬉しいんですけど…」

「そっか初めてなんだ。不安なら俺の隣にいればいいよ。フォローもするから」

「ありがとうございます」

安心して、心を落ち着けようと深呼吸をしていると、「中に入るよー」という店長の声がして、みんなの後に続いて店の暖簾をくぐった。

入ったのは、全国チェーン店で安さが売りの居酒屋だった。そのためか、店内には大学帰りだと思われる学生の姿が多く見られた。席に案内されて、愛弓は一番奥の席に座り、隣は先輩、正面は店長という席になった。お飲み物だけでもお伺いしましょうかという店員に、みんなの口から、酒の名前が飛び交う。あたふたとしていると、カシスオレンジってカクテルでもいい?という先輩の言葉にうなずき、お礼を言った。その後も唐揚げや、串の盛り合わせ、お刺身など、次々と頼む様子を、ただ、ただ見ていた。

最初は様子を見ながら話をしていたようだったが、一時間もするとお酒の力もあるのか、旦那の愚痴を言うようになった菅原さんと、娘が反抗期で…と肩を落とす社員などが、気が合ったらしく同世代が団結し、「今日は飲むぞー」と言いながらビールを何杯もお代わりしていた。店長も一緒になってがぶがぶとアルコールを流し込んでいる。そんな姿を、奥からぼーっと眺めて、飲み会ってこういうものなんだ…と思っていると声を掛けられた。フリーターの高柳美紀さんだった。長い睫が綺麗にカールしていて、アニマル柄のニットは目が痛くなるほど鮮やかな色彩だ。スカートは見ているこっちが目を瞑りたくなるほど短かった。さっきの自己紹介では、高卒で仕事をしていたが、首になり、コンビニで働き始めたようだった。今は男の所で暮らしているらしい。

「あっちはあっちでやってるから、こっちはこっちでやろうか、ほらグラス持って。せーの乾杯!」

それを合図に、高柳さんと先輩はグラスを空にする。

飲むのをためらっていると、ほらっ!とせかされて一気に飲み干した。ノドがかぁっと熱くなる。

「お、いいねー。愛弓ちゃん、これお代わりでいい?それともなんか他の飲む?」

どうしようかと思っていると、「何か良いの勧めてあげてよ。飲むの初めてなんだって」と先輩がフォローをしてくれた。

「まじ?カルーアミルクとかどう?甘くておいしいよ。さっきのよりは少し強いけど、こんなチェーン店じゃジュースみたいなもんだし」

「じゃぁそれで、お願いします」

高柳さんは店員を呼んで、五十嵐先輩の梅酒と自分のビールのお代わりも注文していた。

「二人って同じ大学なんだっけ?すぐそばにあるとこだったよね」

「あぁ、学部も一緒だよ。俺が二年で愛弓ちゃんが一年」

そういうと、高柳さんは私のことを上から下まで見て、その次に顔を凝視した。何が何だかわからずにしていると、いきなり肩をつかまれた。

「愛弓ちゃん。あのさ、友達が合コンしたいって言ってるんだけど、する気ない?男四人はいるんだけど、女の子が集まんなくって。興味ない?」

一瞬わけがわからなった。五十嵐先輩の視線を感じる。

「あたしは…やめておきます」

先輩の口からふぅと息が漏れた。

「えぇー。彼氏いるとか?」

「いない…ですけど。でもそういうの向かないと思うので…」

「そっかー残念。絶対いけると思うんだけどなぁ。でもやってみたくなったら声かけてね」

本当に残念そうな表情をしていたが、スパッと話を切り替えて、今までの彼氏の話をしたり、ファッションやアーティストの話を投げかけてきた。先輩は所々わかるようで、たまに意見を言ったりもしていたが、愛弓はというと、今まで流行ものには手を出さないできたので、話が読めずにいた。高柳さんは、私の家庭の事情を知らないためか、大学生なのに、流行ものがわからないということに興味を持ったらしく、あれやこれやと質問をしてきた。どうにかうまく躱していると、先輩が違う話題に切り替えてくれた。私もそれに乗って話をすると、不満そうにピンクに染まった頬を膨らましながらも、話を戻そうとはしなかった。

しばらくすると、そろそろ解散しようかという話になり、お会計をして店を出た。一度も席を立たなかったから気が付かなかったのだが、足元がふらふらするような感じがする。カシスオレンジとカルーアミルクを二杯ずつ飲んだだけだったのだが、自分が弱いということだけは立ち上がってから理解した。先輩が「送っていくよ」と声を掛けてくれ、「大丈夫です」と言おうと思ったが、吐き気に襲われ、思わず座り込んでしまった。他の人たちは、みんな二次会に行こうと、近くの居酒屋のメニューを見ている。

「ちょっと待ってて」というと五十嵐先輩がみんなの元に歩いて行った。先輩が声を掛けると、全員がこっちに向かってくる。

「大丈夫?ごめん、飲ませすぎちゃったかな。五十嵐君は二次会行かないっていうから、悪いけど今日は送ってもらってね、もし明日も辛かったら電話してくれれば、休んでもいいから」

店長がそういうと、菅原さんたちもみんな口々に、「大丈夫?」と心配そうに声を掛けてくれた。なんとか「大丈夫です」とだけ言うことができたが、顔をみることはできなかった。その様子を見て、「後よろしくね」と先輩に告げると、心配そうに振り返りながらも、みんなはゆっくりと次の店へ向かっていった。

金曜日、授業が終わってから一度家に帰った。グラタンを二人分作って、メモ書きをしておく。それから自室に戻り、愛弓は箪笥の奥から引っ張り出してきたワンピースに着替えた。薄いグリーンのワンピースにはワンポイントで百合の刺繍が入っていて、裾には白いレースがあしらってある。一目ぼれして買ったものの、なかなか着ることができずにいたのだ。さらに化粧をして、シルバーのネックレスをつけた。鏡に映った自分の姿を見ると、自然と口元が緩んでしまう。バイトと大学以外で外出するのは久しぶりだった。母のことが気になってしまって落ち着かないのが目に見えているので、友人からの誘いも断ってしまうのだ。でも今日は慧が来てくれる。気持ちを高ぶらせて、ストールを首に巻き、出かけようかと思っていると、慧が家にやってきた。部屋のドアを開けたところで、目を丸くして立ち止まっている。

「どうしたの」

「いや、そんな恰好してるとは思わなくて。化粧もしてんのか」

「うん、ちょっとだけね。どう?」

その場で一周くるっと回ってみせると、慧は「いいんじゃない」といいながらそそくさとリビングに行ってしまった。時間になったので、玄関で少し高めのヒールを履いていると、後ろから慧がやってきた。

「そんな履きなれてないもん履いて。転ぶなよ」

「大丈夫だよ。そんなに飲むつもりないし、初めてだから様子見ながら飲むよ」

「ならいいけど」

「ねぇ、この恰好変?着替えていった方がいい?」

慧は首をかしげた。

「なんで」

「だってさっき“いいんじゃない”ってすごい投げやりに言われた感じがしたから」

愛弓がうつむいていると頭を思いっきり撫でられ、髪の毛がぐしゃぐしゃになった。

「そんなことねぇよ。大丈夫だからいってこい」

慧が笑っている。愛弓は安心して、玄関の鏡で髪を直した。

「わかった。なんかあったら連絡してね。お母さんのことよろしく」

「お前もな。なんかあったら連絡しろ、駅前の居酒屋だろ?」

「うん。じゃぁ行ってきます」

外に出ると、雲が空を覆っていた。それでも気分はよかった。春の風は気持ちがいい。愛弓は思わずスキップをしながら駅前に向かっていた。



その日に行くことにした。


帰宅するともう八時だった。母はお風呂に入っているようで、慧の姿はなかった。

「ただいま。慧は?」

浴室の扉ごしに母に問いかけた。

「さっき帰っていったわよ」

「そう。ねぇ私も入ってもいい?」

「いいわよ、私はもう出るから」

エコーの入ったような声が聞こえる。服を脱ぎ捨て、扉を開けると母は湯船にいて、目を瞑っていた。愛弓が入ってくるのを確認すると、母は立ち上がり浴室から出ていった。


母の左手首には傷跡が残っている。縫った後だけではなく、最近自傷したものもある。今は前ほどではないので、傷跡も色が薄くなってきているが、自傷してしまうようになった頃が一番酷かった。傷の上に傷。いつ見てもかさぶたが刃物の通った道を示している。そしてぷっくりと膨れるのだ。傷はかさぶたが取れただけでは色が薄くなることはない。傷は綺麗にならない。痕跡が残る。私はその傷跡を見て、当時を思い出し、身体中に鳴り響く心音と荒くなった呼吸を落ち着かせるために、湯船に顔を沈めた。


次の日、大学の昼休みに慧と会う約束をした。「悪い、遅くなった」そう言いながら学食にやってきた慧は家で見ているときとは違う顔に見える。外で会うことはあまりないからかもしれない。身長は大きいが必要なもの以外は何一ついていない、スッキリとした体形をしている。目が少し垂れていて、優しい顔つきだ。大学に入学してからは髪を茶色く染めて、さらにほんわりとした印象になった。

「頼みたいことがあるんだけど」

「なんだよ」

慧はカツ丼を食べながら愛弓の方を向いた。

「今度の金曜日、うちのお母さんのこと頼んでもいい?」

「いいけど。っていうか、そんなの言わなくても俺、お前の家行ってるだろ。なんかあんの?バイト?」

「バイトの繋がりでね、店長がスタッフの親睦を深めようって飲み会を提案してて、その日が金曜日の夜なの。で、夕飯は一応温めるだけにしといて、作っておこうと思ってるんだけど、様子見てくれない?今までも見てもらってて申し訳ないんだけど」

「それって五十嵐さんもいるの?」

「いるよ。だってバイト一緒だし」

「だよな…。わかった、金曜日な。行く時間メールしといて。後、お前が飲む場所。介抱しなきゃ帰れねぇ状態になったら迎え行ってやるから」

「そんなに飲まないから大丈夫」

「そんなことわかんないだろ、お前酒飲んだことないんだから」

言い返すことができない。今まで飲み会という場に行ったことがなく、家にもお酒は料理酒しかないので、飲んだことがなかったのだ。サークルや部活にも所属しないで、バイトに時間を割いて学費を稼いでいるのに、そのお金でお酒を飲んでみようなどと思うはずもなかった。

「わかった。メールしておく」

二人はそのあとも話しながら食事をしていたが、チャイムがなってしまったので、別れを告げると、それぞれの教室に足早に向かっていった。