田舎の空はもっと青かったな。
空を見上げるたびいつも思う。
帰る場所なんてとうの昔にないと思ってた。
それでも「いつでも返ってくればいい」と言ってくれたことは大きな支えになっていた。
今は難しいかもしれないが、いつかちゃんと挨拶に行こう。
気持ちの整理がつけられず、時間が空いた時には掃除をしていた。
これは高校2年生の頃だったろうか?
「銀河鉄道の夜」カムパネルラ役をやった時の写真が出てきた。
当時は小柄で細身だったこともあり、少年役がよく回ってきていた。
この時も皆に適役だねなんて言われていたが、大人になった今も周りにはそう見えているのかと思うと、不思議な偶然に笑ってしまう。
本当に、男の子に生まれてきたかったと何度も思った。
インナーチャイルドという言葉を聞いたのは3年ぐらい前だったと思う。
ずっと私自身が向き合うことを避けてきたのかもしれない。
でも、今だから向き合わなきゃいけないのかもしれない。
母親がいなくなった日のことは正直よく覚えていない。
気が付いたら帰ってこなくなっていたという感じだった。
当時はまだ幼く状況を理解するまでに時間がかかった。
寂しかったかどうかも覚えていない。
覚えているのは「置いて行かれたんだ」と思った記憶だけ。
恨んでいるかと聞かれることもあるが、今となってはどうでもいい。過去のことだ。
父親が酒癖の悪かったことも知っているし、その度に暴力を振るっていたことを知っているので逃げ出したかったんだろうと理解は出来た。
ただ子どもたちを置いていく心境だけは理解できなかった。
いい子でいればいいのだと思った。
でも『女は勉強したところで無駄だから』と言われた。
強くなればと思った。
でもどうしたって腕力では敵わなかった。
大人になってからもそうだった。
仕事で成績を上げても男の人に取られる。
お金でいいなりにさせようとした人もいた。
あまりにも頭にきたから目の前で投げ返してやった。
女性であることがプラスに働く今の仕事に就けたのは本当にありがたかった。
守ってくれる人がいなかったから守れる人になりたかった。
帰る場所なんてなかったから誰かの帰る場所になりたかった。
私はただ、普通に生きたかっただけだ。
次の満月、魚座の満月らしい。
魚座の満月のキーワードは癒し、浄化。
私、よく頑張ったよ。
もう、頑張らなくていいよ。
もう、許せなかった自分を許そう。
一人の時間が必要。
この状況下で贅沢だと言われると何も言えなくなってしまうが、一人の時間に感情や思考の整理をすることでバランスを保っている私には常に人の気配や物音がある環境は苦痛になる。
どんなに忙しい時でも、一人で整理する時間を作らないと潰れてしまう。
このブログも気持ちを整理する上で大事な時間だったんだなあと、改めて思ったりする。
やっぱり時々は書くとしよう。
今は車で用事があった時、遠回りして帰るのが落ち着ける貴重な時間だ。
人が嫌いなわけではない。
誰かがいることで安心することもある。
それでも常に多くの感情が近くにあると自分の中が情報で溢れてしまう。
人との境界線を引くのが難しく、言葉も感情もトゲのように刺さってくる。
感情を削ぎ落としていかないとバランスが取れない。
そんな状況なのに私はまだ優等生であることを要求されなければいけないのか?
私はそんなにできた人間ではない。
完璧を求められても応えられない。
無責任な“頑張れ”という言葉は好きじゃない。
その言葉に救われることもある以上全否定はできないが、ギリギリの状態で頑張っている人間には追い詰める言葉にしかならない。
頑張らざるを得ない状況なのは分かっている。
それでも・・・
そっか。
“頑張らなくてもいい”と本当は私が言って欲しかったのかもしれない。
皆が歩く道を同じ様には歩けない。
自分としては目的地には遠回りしても、違う道を通っても構わないと思っている。
でも多くの人は決まった道を通らせたがる。
カーナビはいつもそう。
“自分”を保つために遠回りしようとすると、決まった道に戻らせたがる。
今日も帰り道“この道を通れ”と何度もリルートされた。
嫌だな。
今の自分。
欲があるから苦しくなる。
人である以上は仕方ないことなのかもしれないけど、そんな自分を見る度に嫌になる。
休息が必要。
一人の時間が必要。
コーヒーを飲んでリセットと思ったけど、こんな時間に飲んで眠れなくなるといけないのでそのまま眠るとしよう。
おやすみなさい。
花が嫌いだった。
正確には花が嫌いだった時期があったと言うべきか。
部屋に置くのも、育てるのも嫌だった。
枯れていくのを見たくなかった。
人の“死”を連想してしまうから。
いつのことだったか、花が枯れていくのは人の邪気を吸い取ってくれているからと聞いた。
周囲の色々なものから影響を受けやすい私には守ってくれる存在なのかもしれないと思った。
それからだろう、身の回りに花を置くようになったのは。
自分がHSPだと知ったのはそんなに昔のことではない。
その人は「あなた、みんなが“良い人だ”っていう人の裏の顔が分かっちゃう人でしょ」と言った。
急にそんな話をされてびっくりしたのだが、よくよく話してみるとその人もHSPだった。
HSPの人はHSPの人が分かるらしい。
そう言われてみれば思い当たる節も無いではない。
びっくりはしたものの、ショックは受けなかった。
色々な事に説明が付いたから。
1cmの違いが見えるのも、大きい音が苦手なのも、強い匂いで具合が悪くなるのも、辛いものが苦手なのも、レースで肌がかぶれてしまうのも、嘘を付いてる人の声音が気持ち悪いのも、
すべて納得がいった。
理由が分かれば対処法も分かる。
自分だけの強みもわかる。
多角的に見られる目は自分に与えられた才能だと思っている。
現在もけして楽観視出来る状況ではないが、驚く程に冷静な自分が自分の中にいる。
自分を強いと思ったことはなかったが、追い込まれた時には案外強いのかもしれないとこんな状況に陥って初めて思った。
一度どん底まで落ちた人間は這い上がり方を知っている。
守るものがあれば人は強くなれる。
人は一人では生きていけない。
守っているつもりで、本当は守られているのだろう。
数日前、玄関先の桔梗の新芽が出てきた。
桔梗は宿根草の種類なので、花が枯れたあとは地上部は全てなくなる。
だが根の部分が生きていれば、春には新芽が出てくる。
人間も同じ。
心が死ななければ何度でも再生する。
大丈夫。
きっと大丈夫。