初めての【どこかにマイル】で三沢・青森の旅。
三沢航空科学館を出て、みちのく有料道路を経由して青森市方面へ。
交通量が少なくあまり信号もない道ということもあり、私の運転が微妙なのかすぐに「速度超過を検知しました。」というナビの声に煽られ(違)
1時間半程掛けて到着したのは、事前に映画のDVDを観て勉強した「八甲田山雪中行軍遭難資料館」です。
私の中のイメージでは、青森と言えば八甲田山。
こちらが八甲田山瀬中行軍遭難資料館です。
裏には幸畑陸軍墓地があり、遭難者の墓標・当時の生存者の墓碑があります。
入口を入るとホールには後藤房之介伍長の銅像のレプリカがあります。
後藤伍長は直立したまま仮死状態で発見されたと言われています。
想像していたよりも遥かに大きい!!
天井に頭が付いてしまうんじゃないかという位、迫力がありました。
時間があれば八甲田山の後藤伍長発見の地や馬立場にある雪中行軍遭難記念像(後藤伍長の銅像の実物)、各露営地などを巡るとより臨場感があって良いのかもしれません。
今回は時間がないのと、勇気がないので出来ませんでした。
入館すると、まずスクリーンで解説の映像を観ました。
我が家の他には男性が1名だけ。
ゆっくりと映像、館内を見ることが出来ました。
事前に八甲田山の映画DVDを観て、大まかな内容は把握出来ていたことは大きかったかも。
特にもこちん、一度記憶に入れておいたので興味の持ち方も違うし、現地での追加情報も頭に入り易いですね。
多分(汗)
こちらは当時の歩兵の服装・装備。
右奥が現在の服装・装備。
当日夜の気温は零下20度と言われ、この装備で冬山に臨むとは無謀としか言えないのだけど、雪山を甘く見ていたのかな。
(と、雪とはほぼ無縁な私が安易に言ってみる・汗)
だって、極端な言い方をすると青森第5連隊は当初、数日間のピクニック気分だった様子だし(映画での描き方の問題?)、まさか天候が悪化して立ち往生、彷徨、遭難なんて考えもみなかったのでしょう。
写真はありませんが、弘前第31連隊が足の凍傷予防として使用していた唐辛子や油紙も紹介されていました。
もこちんに「足のしもやけ予防にやってみる?」なんて言いながら。
青森第5連隊の露営の様子。
6畳ほどの広さ、深さ2.5mの雪濠を掘り、40人ほどが入ったそう。敷き藁や覆う物がなかった為、隊員は風雪に晒されることに。
映画のこの辺りからの様子は息を呑みました。
左から青森第5連隊の神成大尉、後藤伍長、山口少佐。
右端に半分写っている方が弘前第31連隊の福島大尉。
奥の壁面には青森第5連隊・弘前第31連隊の各隊員の方々の写真が飾られていました。
その他、装備品や雪中行軍の隊列の模型など、様々な資料が展示されていました。
が・・・
ほとんど写真を撮っていない・・・
駆け足で見学。
実は時間に追われていた私。
予約してあった品を取りに行かなくてはならず、しかも既にお伝えしてあった時間を過ぎていたので、パパ&もこちんは引き続き見学してもらい、その間に私だけ取りに行って来たのでした(滝汗)
八甲田山雪中行軍遭難事件については、以下を参考にしてみてくださいね。