こんばんは、守田矩子(もりたのりこ)です。
先日の続きです↓
大宇宙には、永遠無限のたったひとつの命
しか存在しないのなら、
支配欲も優位性も生まれるはずがない。
だって、ひとつしかないのに、
もうひとつの「対象」が存在するはずはない。
支配する対象も居ないし、
優位を感じる対象も存在しないということです。
このことに気づいた時、
あーーーーーー、そうだ!!
とめちゃくちゃ納得したのですね。
だとしたら、正義も支配欲も優位性も、
実在しない「幻」でしかありません。
これで、支配欲と優位性から脱却できるはず!
だと確信した私ですが。。。
ところが、そうではなかったんです( ;∀;)
日々、私の支配欲と優位性は、頭をもたげます。
例えば、先日の大阪自然栽培農学校の現場での
出来事。
●畝を踏んづけて歩いている人を見て、
「なんで、大事な畝を何度も踏んでいるんだ???」
と驚いて、注意してみたり。
●効率の悪い作業をしている人を見て
「こうした方が早く終わるよ」
と教えてみたり。
●隣の畑で牛糞を撒いている農家さんを見て
「肥料を入れなくても野菜は育つのになぁ」
「未完熟の糞を吸った野菜は腐敗が早いのになぁ」
「でも、今さら自分のやり方を変えられないよね」
と考えてみたり。
あれ?
正義感と優位性、
全然、無くなってないよね。。。
と、私は愕然としました。
「自我」バリバリやん、私(≧▽≦)
そこから、毎日の明想で自分と向き合い、
・支配欲とは何か?
・優位性とは何か?
を考え、考え、考え抜きました。
そして、「当たり前のこと」に気づいたのです。
(あくまでも私の考えであり、
勝手なこじつけかもしれません)
たとえ、真我に到達したとしても、
三次元世界の「肉体を持つ私=自我」が
消滅する訳ではなかった。
全体意識と個別意識は、対立するのもではなく、
同時に存在するのかも。。
自我と真我の間はまっすぐな一本道だけど、
そこには、無数の「私」が存在し、
識別が出来るごとに、少しづつ、
上に登って行くのではないかな?
と思い至りました。
(個人的な感想です)
まぁ、これが真実かどうかは、
現時点の私では分かりませんが。。。
あなたはどう思いますか?
私は、自分を観察しながら、検証してみますね。
「うんうん」「そうやね」(とりあえず全肯定を練習中)
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