向き合う勇気(7) | 読書セラピー(幸せのページ)

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木に吹いた風が緑色になるように
花に吹いた風が芳香を運ぶように
風に言葉を託して届けます。

「誤解された」と
言うとき
ほとんどの場合
自分の欠点を
言い当てられたとき
ではないか。

  (『北国日記』)

・・・・・・・

野の花が日陰であろうと
谷の断崖であろうと
まったく人目に
つかぬ場所であろうと
自分の命の限り
咲いていることの尊さが
思われた。

花たちの使命は
命の限り咲くと
いうこと。

そう思って
改めて感動した。

  (『生かされてある日々』)

・・・・・・・

立派な人ほど
人をそしらない。

秀れた人間というのは
他の人間が愚かには
見えぬ人のことだろう。

人が愚かに見え
欠点多く見えるうちは
自分がたいして
立派じゃないと
いうことだろう。

  (『太陽はいつも雲の上に』)

・・・・・・

わらうべきことは
他人の失敗や不幸を見て
わらうおのれ自身の姿では
ないだろうか。

人をわらった時
その時の自分こそ
わらわれる人間なのだ。

わたしたちは何を
わらうべきかを
知らねばならぬ。

  (『明日のあなたへ』)

・・・・・・・

今日私は69歳に
なりました。

しかし、60歳代の日々が
20歳代の日々よりも
幸せが薄いとは思いません。

60歳代には
60歳代の恵みが
あることを覚えて
感謝します。

朝日も美しいけれど
夕日もまた美しいのです。

  (『祈りの風景』)

おわり

出典:『言葉の花束』(三浦綾子、講談社)