野の花(5) | 読書セラピー(幸せのページ)

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木に吹いた風が緑色になるように
花に吹いた風が芳香を運ぶように
風に言葉を託して届けます。

※野の花(1)から始まります。

その後、市長たちに招かれ、
芹沢さんは料亭に行きましたが、
はるさんのことが
ずっと頭から離れません。

(彼女の実力ならもっと
出世できたはずだ。

でも、女であったから、
子どものために肥料になり、
つつましく暮らしたのであろう。

はるさんは、本当に
幸せだったのだろうか?)

そんなことを考えていたとき、
市の教育委員長が、
彼女のことを口にします。

「岡島さんはいいお婆さんですね。

岡先生は、私の教え子である関係で、
ずいぶん前から、
あの親子を知っていますが、
よくできたお婆さんです。

苦労もしたようですが、
いつも楽しそうに
子どもたちの友だちに
なっていたのですからな」

助役も、

「私が感心したのは、
市歌のことではありません。

はるさんが、子どもを
立派に教育したいために
『自分で自分を育てた』
ということです。

それが嫌味のない、
立派な人間になって、
とても小学校だけしか
出てない人には見えません。

近所で困ることがあると、
みんな、はるさんのところに
相談しに行くようですよ」

と言います。

市歌が二等に選ばれ、
脚光を浴びるようになったはるさん。

けれど、目立つのが苦手で
表に出たがりません。

はるさんは、野の花として
いのちいっぱい輝きながら、
多くの人に愛されていました。

出典:『心の窓』(芹沢光治良、新潮社、pp16.-19)

・・・・・・

私は小さい頃、
疑問に思ったことがあります。

それは、
「なぜ手厚く保護されても
咲かない花がある一方、
コンクリートを割ってでも
咲く花があるのか?」

そして、『野の花』を読んだとき、
答えがわかった気がしました。

助役の言った、
「自分で自分を育てる」姿勢です。

きっと花は、「自ら咲こう」
という意思があって
初めて開くのでしょう。

心の内に蒔かれた種が
いつ発芽するかは、わかりません。

ただ、咲こうという意思さえあれば、
花開くはずです。

鑑賞の対象でなくても、
命を咲かせようとすること自体が、
尊いのですから。

おわり


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