一年前の春、2011 4月、
駅で 人の流れが、 変わった
1人乗りのエスカレーターに乗る時に、「 」って思った
「 」は、他の場所でも
電車の乗る時。階段の手前。改札口。
エスカレーター乗るときにも 。
人が集中する場所で 明らかだった。
みんなが同じところへ向かっているときに 明らかだった。
人が、一瞬、足を止める。
止めるというほどの時間じゃない。0.2秒くらいかな。
ほんの瞬間 動きを止める。
少しの隙間ができて、みんな 譲り合っていて
私は驚いた。
アナウンスや 教育があったわけでもないのに
みんな どこでも 自発的に
どの駅でも、同じように みんなほんの一瞬
瞬間的 動きを止めていた。
言葉はないけど ゆずり合う気持ちが 存在していた
2011・3・11の影響で だれもがみんな
人を意識して やさしく 接していたのかな。
そして・・・・・・・・・
一年たった春 、2012 4月、 5月の今。
また、駅の人の流れが、 違う。
いつものあの 1人乗りエスカレーターで、「 」
「 あれ 」
誰もがみんな、小股です。
大きな男性も、チョコチョコ小股です。
前の人の背中に ぴったりくっついて チョコチョコ 歩く。
背中に ぴったり 隙間を作らず
「前になんか 入れるもんか」 「我先に」が、あふれてる。
後ろからは、くっついた背中が ずんずん押してくる。
私も、その波の中。波の飲まれ同化する。
ぴったりくっついて 歩いてる。
私も「前に入れるもんか」的。一瞬止まること 忘れてる。
自分が 悲しいなぁ。
同じ駅の 同じ場所なのに。
なんか、悲しい気持ち。
せっかく やさしい波が 駅にあったのに
3・11前に 戻ってしまったね。
コレは、戻らなくていいコトじゃないかな?
朝の駅が 居心地が悪い。
その光景、目に入ると 辛い。
いやなお話、書きたくないなぁ と思っていた。
でもさ、コレ・・・・・・・!
「いやなお話」じゃなくて、「人の意識が違うって話」なだけか!
ただの 意識の問題なんだよね。
「自分の行動だけ」に 目がいっているのか、
「目の前の人にも」 目がいっているのか。
自分しか 見えていないだけなんだな。
目の前に 人がいるのに 見えてないんだなぁ。
意識できてないんだなぁ。
「みる」 ということ、、、
大事なんだけど、
使い方、気をつけないと。
気づかないうち ヘンテコになってしまうなぁ。。。
自分の状態・・・? 気の持ち方・・・? なんてゆーの?
「意識」とか 「みる」とか?
・・・そのフォーカスの 持っていきかた?
「みる」ということ。
視野に入っている事とは違う、
ちゃんと「みる」ということ。
必要なところに 目を向ける 意識を向ける ということ。
大切だけど 難しいなぁ。