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Mr.ROYALの徒然日記 PartⅡ

ブログタイトルそのまま、「徒然なるままに」書きたいことを書いていこうと思っております。

 タイトルには「籠城」と物々しい言葉を使用しましたが、

 

 …基本的には発症してから約2週間はほぼ自宅内で引きこもり状態でした。

 

 幸い管理人は独り身であり、同居家族&訪問者もいませんので、他者との関係、という部分については全く悩む必要はありませんでした。これが同居家族がいる、という状態であれば感染防止のために一時入院orホテル隔離といった別の対策を取らなければなりませんでしたが、そのあたりの事情に神経を使う必要がなかったのは管理人にとってもっけの幸いというべきなのでしょうか。

 

 そんな訳で管理人の症状は幸いにも呼吸器官に影響を与えるほど重症化することもなく、発症から約5日ほどでほぼ収まったとはいえ、新型コロナウイルス感染拡大防止、という観点から保健所から指定された最終予定日まであと5日ほど残っており、症状が再発する危険性もありますのでそれまでは自宅待機を余儀なくされることに変わりはありません。最も今のご時世において自宅療養期間中に勝手に外出すること自体、くどいようですが

 

ただのバイオテロ

 

でしかありませんので、どんなに暇を持て余そうが、どんなに退屈だろうがここは自宅で大人しくしていることが一番無難。という訳で引き続き自宅待機生活を送ることとなりました。

 

 自宅待機生活をするうえで一番不便に感じるのはストレスの発散以上に、

 

外出しての買い物ができない

 

ことにつきます。特に食料品の買い出しができない、というのは日常生活を送るうえで非常に不便を感じる部分です。管理人も普段の買い物で保存食の類は結構買っており、自宅に何日分かは準備していましたので、何日かはそれでしのぎました。とはいえ自宅待機期間中すべてを保存食でしのぐには食料が足りなくなる可能性もあれば、毎日同じものばかり食べていれば飽きも来る。

 

 しかし一昔前ならともかく、今は便利なサービスがいろいろあります。

 

 それこそ自宅にPCないしスマホがあればオンラインでアクセスが可能。という訳で管理人は自宅待機期間の途中から、

 

ネットスーパーとデリバリーサービスをフル活用しました。

 

(どこのサービスを利用したかについては管理人の正体がバレる心配もあるのであえて伏せます)

 

 ちなみに新型コロナウイルス感染患者に対する保存食の配送サービスというのもあるのですが、これはパルスオキシメーターの貸与と同様、専用窓口から自分で申し込む必要があります。その中身も話を聞いたところによるとレトルト食品がメインになるようですので、だったらネットスーパーに登録した方が自分の好きなものを選べる、ということで自宅のPCを使って早速登録しましたよ。ネットスーパーに。一方のデリバリーサービスについては事前に登録していたものがありましたのでそれをそっくりそのまま利用し、自宅待機期間は自宅の保存食とネットスーパー、そしてデリバリーサービスを駆使して何とかしのぎました。

 

 現在管理人が個人的に心配しているのはネットスーパーもデリバリーサービスも感染拡大防止策のためカード決済にしたことで、カード請求額が合計でどのぐらいになるかということ(個人的には使い過ぎになないよう注意はしていたつもりではいるのですが、カード決済ってその場で現金が動かないので安心してついつい使ってしまいがち。今すぐ現金は動かなくても所詮は「後払いの借金」でしかないので、正直請求書を見るのが怖い)。

 

 そしてそんな生活を続けるうちに保健所から指定された終了予定日も無事に過ぎ、自宅待機解除はされたのですが、管理人が勤務する会社の規定で出勤解除がされるのが保健所が指定した自宅待機解除日からさらに3日後。その気になれば普段通りの生活を送ることもできたかもしれませんが、万が一の体調悪化に備えて出勤解除日まで自宅待機生活を続けましたよ。その期間中も外出してもせいぜい自宅から1~2分ぐらいの距離にあるコンビニに行くぐらいで、滞在時間もせいぜい10分程度。電車やバスといった公共交通機関を利用するなどもってのほか。新型コロナウイルスを一旦もらってしまうと他人に感染させてはいけない、という意識から知らず知らずのうちに自分に行動制限をかけてしまうものですね。

 

 こうして管理人の新型コロナウイルス感染に伴う籠城生活も無事に終わり、現在は無事に普段通りの生活に戻りましたが、やはり一番の問題になったのは自宅待機期間中に身体をあまり動かさなかったため。最初の2、3日は筋肉痛がひどかった。もし万が一新型コロナウイルスに陽性反応が出て、自宅待機生活を余儀なくされることになったら、他人に迷惑をかけないことを前提として少しでもいいので体を動かすことをお勧めします。

 

 それでは皆様。ぜひ今日も1日健康でいられますように。

 さて、深夜に突然発熱→病院で診察→薬飲んで自宅療養という流れになった発症初日。

 

 検査結果が出るのは翌日とはいえ、病院で何年振りレベルで体温が39℃まで上がった時点で「こりゃ完全にウイルスもらったな」と内心覚悟していた管理人。そして案の定、初日はいくら水分を取ろうが横になって安静にしようが体温は37℃台後半から38℃台前半をキープ。

 

 そして発症2日目。

 

 管理人の嫌な予感はめでたく(?)的中し、保健所より先に病院からSMSで新型コロナウイルスの陽性反応が出たと連絡が入り、すぐさま上司と人事部へ結果報告→報告が完了した時点で見事約2週間の出勤停止&自宅療養&体調の回復次第という条件は付きますが、次回出勤日のスケジュールも決定しました。

 

 この日の症状は基本的に発症初日とほぼ同じで、37℃台後半から38℃台の発熱がメイン。咳や鼻水に悩まされることはなく、もちろん呼吸困難になるようなこともない。発熱以外の症状でいえばちょっと喉に違和感を感じる程度。しかし水分補給をこまめにしても布団で温かくして寝ていてもとにかく熱が下がらない。体内に残っているウイルスがそれだけ強烈なのかな、と思いながら体重計に乗ってみると、通常より低い数字が表示されるので一瞬ダイエット効果が出たと思ったのはここだけの話(笑)。基本的に管理人は37℃後半から38℃台の発熱程度で食欲が全くなくなるわけではなく、この程度の体温なら普通に食事はできる。とはいえ自宅療養中ということもあり1日3食はさすがに多すぎる多いと判断し、この時期は基本1日2食にしていました。それにプラスして発熱による基礎代謝の一時的な増加も体重減少の一因であろうと推察されます、

 

 発症3日目。

 

 身体的症状、という点に関してはある意味この日が一番きつかった。

 

 この日も37℃台後半から38℃台前半の発熱に加え、初日から感じていた喉の違和感が腫れという形で襲い掛かってきた。おそらく扁桃腺が腫れたんだろうと思うのですが、

 

 …この喉の痛みが一番の曲者だった。

 

 とにかく四六時中痛い。

 

 食べ物どころか水分補給、つばを飲み込むだけでも激痛が走る。

 

 そしてたまに喉に痰が絡んで咳込むこともあったのですが、この時は痛みで気管支が持っていかれるんじゃないかと思うぐらいの激痛が走りました。

 

 まあ、発熱と激しい咽頭痛の組み合わせ、というのは新型コロナウイルス感染症の典型的な症状の1つでもあるので、改めて自分が新型コロナウイルスをもらってしまったという実感と、症状が呼吸器官に達する前に何とか治したい、という気持ちでこの日も布団の中で安静の1日を送ることになりました。幸いなことに1番症状がきつかった3日目も症状は発熱と咽頭痛にとどまり、個人的に一番恐れていた呼吸器官に影響を与えるものではなかったということ。そしてその翌日あたりから体温も36℃台後半から37℃前後を行ったり来たりのラインに落ち着き、ここで病状は峠を越えた、という感じです。

 

 発症4日目は前述の通り激しい咽頭痛は残っていましたが、体温は36℃台後半から37℃台

近辺をウロチョロするあたりで落ち着き、発症初日から悩まされた高熱に伴う体のだるさからは解放された感があり、さらに発症3日目から悩まされていた激しい咽頭痛も発症5日目にはだいぶ軽くなっていきました。

 

 そして発症から6日目には発熱、激しい咽頭痛ともにようやく落ち着き、通常の風邪なら出勤可能なレベルまで体調は無事に回復こそしましたが、

 

 …生憎管理人はこの時点では「保健所によって指定された療養終了日前の新型コロナウイルス感染症患者」でしかありません。少なくとも療養終了日までは原則自宅待機の生活が続くわけです。

 

 では自宅待機中の生活はどうしていたのかって?

 

 その点については次回のブログで書いていこうと思います。

 このブログを書くのも随分久しぶりになりましたが、今日のブログはタイトルそのままの内容でございます。

 

 何を隠そう、管理人もつい先日、新型コロナウイルスをしっかりもらってしまい、約2週間ほど自宅療養からの行動制限を自ら体験することとなりました。

 

 感染ルート?

 心当たりがありすぎてどこでもらったかなんて全くわかりません。

 

 それ以前に管理人の仕事柄、最低往復2時間以上は満員電車に揺られているんですからいつどこでもらってもおかしくない。

 

 むしろ今まで無事だったことが不思議でしょうがない。

 

 という訳でここから先は管理人の発症の経緯と体調具合について簡単に説明していきたいと思います。なお、発症日及び療養期間の正確な日程を書いてしまうと管理人の正体がばれてしまう可能性もありますのでそのあたりはぼかして書いていこうと思います。

 

 発症初日。

 

 前日夜から微妙に体温が上がり始めた感覚を覚えながらも翌日も仕事、ということもあって就寝するも、夜中に身体のだるさは覚えるわ、それが原因で頻繁に目が覚めるわと明らかに体調の変化を感じる。念のためこの時点で体温を測ると37℃台半ば。これはヤバい、と思いつつももしかしたら何かの間違いかもしれない、と判断して再び就寝。

 

 そして本来の起床時間に目を覚ますも、体のだるさと熱っぽさは全く消えない。熱が下がっていることを願ってもう一度体温を測ると今度は38℃台。

 

 …ダメだこりゃ。

 

 一昔前の管理人であればこのぐらいの溌熱であれば「這ってでも出社する」という選択肢はあったかもしれませんが、

 

 今のご時世にそんなことをすればただのバイオテロでしかない。

 

 この時点で朝の5時。速攻で上司に連絡。

 

 本来であればこんな時間に電話すること自体非常識以外の何物でもないのですが、管理人自身の出社時間も迫っていましたし、早い段階でスケジュール調整をしないと後々しわ寄せがいく。幸い上司とはすぐに連絡が取れ、この時点で当日の欠勤が決まり、かつ当日中に病院に行くことを上司と約束をして再び横になる。

 

 この時の症状はほぼ発熱のみ。咳や鼻水が出るわけではなく、若干喉に引っ掛かりを感じる程度。この時点で「もしかしたら」の可能性は考えたものの、どっちにしろ病院に行かなければ詳細はわからないので病院の受付開始時間に合わせて電話を入れ、診察を受け入れていることを確認したうえでとりあえず病院に向かう。

 

 やっとの思いで病院に着き、病院で体温を測ったら39℃まで上がっていた。ここ数年、年に1度はどこかのタイミングで熱を出すことがあったけれど、39℃の熱なんて何年ぶりだ?

 

 それでも他の症状がほとんど出ていなかったのがせめてもの救いと言えば言えるんだけど、高熱の時に待合室で待たされるのは想像以上にしんどい。しかもそういう時に限って診察を受けるまでの時間が異常なほど長く感じる。早く診察してくれ、とは思うんだけど、

 

 だから誰が何と言おうが順番が来るまで「待つ」以外の選択肢はない。

 

 そうやってかれこれ待ち続けること1時間。ようやく自分の診察の順番。

 

 まあ、今のご時世、感染防止の観点からオンライン診察が当たり前。実際に体験するのは初めてだけど、まあ患者の症状によっては今後も主流になっていくんだろうな。

 

 当然のことながら、今のご時世において発熱=新型コロナウイルス感染の疑いがある以上、PCR検査を受けるまでがワンセット。そして当然、管理人の方も実際にPCR検査を受けることが決まった時点で会社規定によって上司及び人事部への報告義務が発生する(これを怠ると後々面倒なことになるので最優先で実施するよう全従業員への指導がされる)。この時点で新型コロナウイルスの陽性・陰性に関わらず自動的に発症当日を含めて5日間の出勤停止が決まる。結局この日はPCR検査を無事に受け、検査結果は翌日に病院ないし保健所からショートメールで報告する、ということであとは調剤薬局で薬を処方されてこの日は無事に帰宅。

 

 正直言うと病院で体温が39℃まで上がった時点で陽性反応が出る可能性は高いと思ってはいましたが、検査結果が出るのは翌日。もしかしたらただの風邪で終わるかも、と若干の期待をしながらこの日は自宅でひたすら療養。

 

 そして翌日。

 

 保健所より先に病院からのショートメールが入ったのでもしかしたら、と思って中身を確認すると、

 

 …結果は無情にも陽性反応。

 

 この時点で約2週間の自宅療養および行動制限が確定した訳ですが、その続きは次回のブログにて。

 10年前へのタイムスリップから戻ってきました。

 

 

 もちろん「タイムスリップ」というのは「言葉のアヤ」であり、理論上では可能なのかもしれませんが、実際にそんなことができるはずもありません。

 

 もし仮に管理人にタイムスリップの能力があり、10年前の3/31の世界に戻ることができたとしても、いや、さらにSDN48というグループが「『全員卒業』という名の『解散』」が決まった日に戻ることができたとしても、

 

 …管理人には何もすることができない。

 

 過去の歴史を変えることはできない。

 

 もし変えることができたとしても、歴史の流れを大きく変えることはできない。

 

 自分にできることはあくまでも「細部の修正」だけ。

 

 もうね。宮部みゆき「蒲生邸事件」の一節そのままですよ。

 

 

 

 管理人も正直なところ、2012/3/31の時点でSDN48というグループが解散することなく、人気グループとして君臨する世界線を見てみたかったですよ。実際、決してこの時点で解散させていいようなグループだと思ってもいませんでしたからね。

 

 そして本当にタイムスリップする能力があり、このグループの解散を防ぐことができたら、と考えたらおそらくそれを実行に移すことを考えたかもしれない。

 

 しかしそれは個人としては「歴史を変えた」出来事であったとしても歴史にとってはあくまでも「細部の修正」でしかない。

 

 そしてその「細部の修正」を行った結果、

 

 例えばグループ自体は残ってもメンバーは総入れ替えになっているかもしれない。

 

 仮に解散を免れたとしても推しが卒業発表するかもしれない。

 

 または解散時期が1、2年先延ばしになっただけかもしれない。

 

 メンバーのその後のリスタートのタイミングがずれたことによってその後の人生に大きく影響をもたらすかもしれない。

 

 こうして自分が行ってきたことに対して発生した結果についてまともに向き合わなければならなくなった時、果たして自分はその責任に耐えられるのか?

 

 そして「蒲生邸事件」ではこう続ける。

 

 「時間旅行者とはいわゆる『まがい物の神』なんだ。」と。

 

 そして物語の途中でこの答えにたどり着いた主人公も最後の最後に「まがい物の神」になろうとしてヒロインである蒲生邸のうら若き女中に、

 

 「あなたは元の世界に帰るんです。でも私は逃げ出すことになってしまいます。逃げ出すことは私にはできません。」と拒絶されることになります。

 

 だから管理人にできることはこのDVDを見ながら束の間のタイムスリップする感覚を味わうことだけ。まあ、こんなことを頻繁にやっていたら単なる現実逃避でしかないんですがね。

 

 まあ、このタイムスリップはまた気が向いた時にやろうとしますかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前回のブログを書いてから2週間が経過した。

 

 どこかのタイミングで見よう見ようと思っていたにもかかわらず、自分の中で何が何でも「見たい!」という衝動は不思議と起きなかったことに正直驚いたけれど、、

 

 …やっぱり「孤独なランナー」の脳内エンドレスリピートを抑えられなかった。

 

 それどころかこの曲以外の曲のエンドレスリピートが始まったこともあり、今日は朝から見ることにしましたよ。SDN48のラスコンのDVD。

 

 

 これをまともに見るのは随分久しぶりなような気がする。

 

 以前はそれこそ毎日のように見ていたわけでもないけれど、年に数回は見ていた記憶があるけれど、

 

 ここ数年はほとんど見ることもなく、むしろ存在を忘れかけていた。

 

 だから自分の中である程度「封印された記憶」になっていたと思っていたのですが、

 

 …最初から記憶は封印されてなどいなかった。

 

 単にここ数年間、心の奥底で眠っていただけだった。

 

 そしてあのtwitterで眠っていたものが呼び覚まされただけだった。

 

 今回このDVDを見ることで精神の深淵で眠っていたものを呼び起こすのではないか、と正直怖くもあったけれど、

 

 あれから10年も経過すれば多少なりとも記憶と感情の整理はされているはず。

 

 というわけで今日はこれから出発する。

 

 2012/3/31。

 

 思い出したくもあり、思い出したくもない10年前のあの日へのタイムスリップに。